日本人と韓国人の違いは何か?を考えた場合
私たち日本人は 2タイプの食口に別れ 試練に対して 知的に判断して分析して乗り切るものと 神さまにゆだねる者の割合が
古い時代の食口は 為に生き 原理的に分析し 精一杯戦い 最後は天にゆだねる古いタイプの食口と
そうではなく アベルに相談し 駆け引きをして 損得で判断する 知的に分析し判断するタイプ ただ後者は祈ることもなく為に生きることもない!!!
大半の家庭連合のメンバーは サンクに来なかった? なぜか?
韓鶴子 信者であり 金孝南 偽大母に魂を 売り渡し すでに 神さま イエス様 アボニムサイドにはいなかったということである。
基礎原理の主体と対象が何も理解できていなかったことになる。
韓国人も 多くは 知的に工作活動をする中で 委ねるという行動を忘れ
すでに 国家自体も 心で判断することのできない 委ねることのできない 為に生きれない国民に成り下がってしまったと言っても過言ではない!!
だから 韓国人の多くも 日本人の多くの食口も 天に委ねる方は少なくなり
2代王の周りを見ても 知的な方の多くは 工作活動にいそしみ
いかに、目立つものを除外し 排除し 自分の立場をいかに守るかに固執しているようだ!!
2015年のサンクチュアリー旗揚げ当時 すでに777双や1800双は齢をとりすぎ
子供たちは委ねる信仰よりも 結婚相手の親族や 地位や名誉や金にとらわれ
有名大学を出ているかどうか?
夫の親が 幹部かどうか?
うわさや すでに清平信仰によって 1世も 2世も原理的に判断できるだけの脳と心を持ち合わせておらず 皆さん取り込まれてし待った!
6500双の方たちは すでに 倉原(なにか意識向上グループ) 内野ひろし(ウー) 佐藤のお母さん(故) のビデオマニュアル教育によって それ以降の30000双も 36万双もそれ以降の人たちも 多くがこれなかったのに 2075双と 6000双(イチロク)がこれたのはなぜか?といえば
老人化する前だったからだと思う!!
路傍講義や黒板講義や 神山 タイガー朴先生達の最後の教え子 最後の開拓伝道師達も
残存していたように感じます。
777双 1800は 老人化 6500双以降は マックのマニュアル伝道化によって
残ったものは 日本でもアメリカでも 韓国でも 2075双 6000双クラスが実権を持ったように感じる。
問題は韓国で韓国人化された日本人姉妹は 委ねるよりも 損得で考え
ゆだねるという2700年前から渡来した先祖の血の流れも AD200年ごろ伝わった
義人ヤコブ(イエス様の弟)の景教における 為に生きることも忘れ 韓国人化 アメリカ人化して 自分の立場を忘れたわけです。
特にアメリを立てなければならないのに 江利川会長は子供たちを 王様の周辺に集結させる道を理解できず 韓国人は 自分の子女を(損得で脳で思考する)娘たちを多く送り込み
あるアメリカで婚姻が決まった姉妹に対して 韓国の女の子たちがかわいそうじゃない!!
辞退しなさいよと助言する始末であったとか 現実を考えると その姉妹は
アメリカを立てるよりも 自分の家庭だけを考え 自分の判断で決断を下したようで
どれだけたくさん韓国人を送り込んでも 損得だけで 最後に委ねることもできない
韓国人では やっぱり国自体 自殺者が多いのも理解できるということであります。
ぎりぎりまで頑張って ぎりぎりまで頑張って 委ねるこれは 日本人特有の信仰姿勢であり アボジも条件を立て 康オモニも 時を待ち ぎりぎりまで頑張って 勝ち得た勝利権
大勝利であったわけで 韓鶴子オモニにその忍耐力があったならば
国進様も2代王も 家庭連合にいたでしょうし 家庭連合も神様の摂理に貢献できたことでしょう!!!
安倍総理も 自民党や 中国や 左派ユダヤ(偽ユダヤ)から暗殺されることはなかったでしょう!!
ゆえに 100パーセント努力して あとは委ねる 韓国人の大半の方のように ユニクロの柳井社長のように 姑息な手段は 中国に対する日本を貶める発言は 委ねることができない姑息な言動であるわけです。
韓国人は韓国人なりの 計算高い信仰姿勢を持ち
日本人は日本人である 最後は委ねる信仰をもう1度 思い出せればよいと感じます。
韓国人が 神側に計算高ければよいのですが 私の見た 2004年ごろの2世の思考はなんの教育も受けていない かわいそうな 神さまを無視した計算高い集団
だから 回廊を作り 箱モノを作り 教会員も 為に生きることができない かわいそうな集団に成り果ててしまったわけです。
狐狸庵 さんのコメントより 2016年10月7日
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新約聖書を成立年代順に読むと、全く違った景色が見えてくる。今まで、私は国際情勢、主に極東アジア問題を中心に投稿してきましたが、ここ暫くは情勢が幾分安定(?)しているので、私の大好きな新約聖書について書きたいと思う。
サンクチュアリ教会の亨進様が説教で聖書を使い始めて久しいが、彼が旧約聖書の聖句を引用すると無料外野席の三男派から「亨進様は旧約レベルだ。」と非難が来た。新約聖書の聖句を引用して説教すると「亨進様は新約レベルだ」と非難が来た。彼らの目と耳は何処についているのであろうか?亨進様は毎回、お父様の天聖経の聖句を使われている。それなのに「亨進様は成約・完成級レベルだ」との批難は来ない。心情の動機が見え見えである。何でもかんでも「NO」と言えば良いという第一反抗期の保育園児の思考回路と同じである。
家庭詐欺連合は聖書、原理講論、八大教材教本・・・などを天一国憲法の中の根本経典から除外し赤本天聖経、平和経、真の父母経なる偽書をお父様の意に反して根本経典とした。
聖書、原理講論を外して、これら3つの偽書・根本経典にどの様に歴史に繋げ、これらの偽書の正当化をするのだろうか?と他人事ながら心配したものである。そうこうする内に聖書、原理講論が復活したので、満更、家庭詐欺連合も家庭阿保連合ではないようである。
この様な冗談の様な、本当の事は横に置いて、本題に入りたい。
聖書についてと言ったが漠然としているので「新約聖書の読み方」と言った方が適切である。
そんなことは、お前に指図されたくない!どう読もうが俺の勝手だ!と言われる御仁もおられるだろう。全く、その通りである。好きな様に、好きな所から読まれたら良い。
ここで引き下がっては本題に入ろうとしているのに、私の立つ瀬がない。
ここでは、新約聖書だけに留めたい。御存知の様に、新約聖書は西暦397年に開かれたカルタゴ会議で、当時バラバラに存在していた手紙類を集めて、その中から27編を選び正典として認めたものである。正典から外れたものは外典、偽典として存在し、今でも読まれている。
1517年のマルチン・ルターによる宗教改革以降、聖書は多くの言語に翻訳され、聖書研究が本格的に進められた。今まで、単に信じられてきた聖書を歴史的、文献学的、科学的検証をしようと試み、特に、18世紀末からの近代の聖書批評学、高等批評によって、聖書は大きく疑われる様になった。それまで、モーセ五書はモーセ一人によって書かれたと信じられていたが、それが覆された。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネなどの福音書はイエス様の直弟子によって書かれたと信じられていたが、そうではなく別人であった。・・・・などなど・・・である。
新約聖書はマタイの福音書から始まるが、時系列に沿って、つまり、成立年代順に沿って読まれることをお勧めしたい。各福音書、手紙などの成立年代は聖書辞典やウィキペディアを利用して良いでしょう。しかし、前もって知っていただきたい事は福音書や手紙などには年月日が記されていないので、神学者、牧師たちが過去200年以上に渡り研究に研究を重ねた結果出された年代であり、中にはマタイの福音書はイエス様の直弟子によって書かれたと固執する少数のカトリックの神学者もいる。
では、何故、私は成立年代順に沿った読み方を勧めるかと言うと、聖書が全く違った景色で見る事が出来るという事である。例えば、キリスト教会はイエス様は死ぬために来た。と言うが、統一教会は違うと言う。その違いが見えてくるのです。また、パウロ神学の成立過程が見えてくるのです。また、弟子たちの十字架に対する考え方・・・・など、多くが見えて来るのです。
話は少し逸れますが、私はロシアの作家・ドストエフスキーが好きです。単純に好きであれば彼の著作をどれから読んでも構いません。彼の最後の作品の「カラマーゾフの兄弟」(1880年)で感動し、「罪と罰」(1866年)で感動し、処女作の「貧しき人々」(1846年)を読んで感動するのも読み方の一つです。しかし、もし私がドストエフスキーの考え方、思想形成、精神的発展、著作の文学的発展などを調べたいなどと思えば、やはり、処女作から順番に最後は「カラマーゾフの兄弟」に至るでしょう。
これと同じように新約聖書を成立年代順に読む事により、今まで見えなかった新しい景色が見えて来ます。
例えば、キリスト教最古の文献である「テサロニケ第一の手紙」を読むと、そこにはイエス様の再臨を熱烈に求める信徒の姿があるが、罪からの救い、十字架贖罪論は見当たらない。イエス様の死から20年経ち、信徒たちはイエス様の再臨の遅れから苛立ち始める。その解決策としてパウロは十字架贖罪論と言う、ウルトラCを生み出したのである。(ウルトラC???私の時代は超美技はウルトラCだったのです。笑)そうすると、十字架贖罪論は後付け、つまり、イエス様の十字架の死を後日、死ぬために来たとユダヤ教の罪祭を利用して論理立て贖罪論を組み立てた事になります。では、パウロはいつ、十字架贖罪論を組み立てたのか??? 新約聖書を成立年代順に読んで答えを出して下さい!!!
皆さんの手間を省くために、私が調べた新約聖書を成立年代順に記します。
聖書辞典、ウィキペディアなどで確認お願いします。
1. テサロニケ第一の手紙(紀元50-51年頃、パウロの直筆)、
2.テサロニケ第二の手紙(51年頃、パウロの直筆、パウロの直筆とするかどうか賛否両論があり、私はパウロの直筆とします)、
3.ガラテヤ人への手紙(53-54年頃、パウロの直筆)
4.コリント第一の手紙(54年春頃、パウロの直筆)
5.コリント第二の手紙(54-55年頃、パウロの直筆)
6.フィレモンへの手紙(54-55年頃、パウロの直筆)
7.フィリピ人への手紙(55-56年頃、パウロの直筆)
8.ローマ人への手紙(55-56年頃、パウロの直筆、神学的遺言として)
9.コロサイ人への手紙(60年頃、パウロの直筆か不明)
10.エフェソ人への手紙(60-62年、パウロの直筆か不明)
パウロは60-62年頃にローマで処刑されています。ここから福音書です。
11.マルコの福音書(65-70年頃)
12.マタイの福音書(80-85年)
13.ルカの福音書(85-90年)
14.へブル人への手紙(95年頃)
15.使徒行伝(90-95年頃)
16.ヨハネの黙示録(95年頃)
17.ペテロの第一の手紙(90-95年頃)
18.ヨハネの福音書(95-100年頃)
19.ヨハネ第一の手紙(100年頃)
20.ヨハネ第二の手紙(100年頃)
21.ヨハネ第三の手紙(100年頃)
22.ヤコブの手紙(95-100年頃)
23.ユダの手紙(95-100年頃)
24.テモテ第一の手紙(100年頃)
25.テモテ第二の手紙(100年頃)
26.テトスへの手紙(120-140年頃)
27.ペテロ第二の手紙(150年頃)となります。
ついでに、一般的に理解されている分類を記します。
4大書簡―ローマ人への手紙、コリント第一、コリント第二、ガラテヤ人への手紙。
獄中書簡―エペソ人への手紙、フィリピ人への手紙、コロサイ人への手紙、フィレモンへの手紙。
牧会書簡―テモテ第一の手紙、テモテ第二の手紙、テトスへの手紙
牧会書簡の3つの手紙はパウロによって書かれたものではないという意見もあります。
新約聖書を違った角度で見るのも面白いと思いますよ。
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