morison30000のブログ

新しい時代が到来しました。
2012年から 世界は大きく変わり始めました。
大いなる主体が地上を去り
永遠の対象であったものが 邪な誘惑に負け 偽の主体に立つことにより 韓国はもうすぐ消滅します。
カゴメ カゴメ 後ろの正面はだれなのでしょう!!!!
 

世界で一番原理を理解実践している方は劉正玉で

は絶対にない!!!!
私が感じる世界では 対外的に考えても 国を進めている方であるわけです。
郭とオムコサン派には アベルカインはなく 怨みねたみ 嫉妬しかなく 論外
アボジ御聖和前から ボケた!!!!アボジはボケた!!!!と裏切り逃げた時点で
モトヤマのお兄さんたちには悪いのですが かわいそうですが理論破綻しているわけです。
韓オモ二と金ヒョウナム派には 霊的アベルカインしかなく 地上で神の国は作れず論外
であるわけです。
統一教会時代の転換点は 真の家庭におおける 暴力の連鎖を断ち切ったのも
 国進様であり 
お父様が韓国で始めたセイロマシーナリーも元を正せば 国を守るためであるわけで
旋盤機械 工作機械を買い 独学で銃を作られたのも真の家庭と国を守るための武器であるわけです。
情けないことに祝福家庭は 戦士であったことを忘れ マイクバルカムや ジェンキンス
小山田 周藤先生のようにおかま化したようなものです。
本体論を表した 劉正玉は優れた講師でありますが 消費経済であり
韓オモ二と同じ 日本は悪いことをしたのだから お金を出し続ける義務があると彼の根底には存在しています。
金さえあれば何でも買える 何十億韓オモ二の為に用意しても 彼女は何も理解できなかったわけです。


古い韓国人先輩達 が取ってきたサタン的思考回路は何十年立とうがサンクチュアリーになろうが偽りの主人であり 日本人は家畜であり
簡単に変わるものではありません。
日本人も同じで 奴隷的思考回路は いつまでたっても奴隷であり
奴隷信仰 天使と人間は結婚できますか???とか国進様に聞く時点で 
もういい!!!こいつら馬鹿は相手してらんない 質疑応答やめよう!!となるわけです。
自分 自分と喋り捲って 自分を目立たせる思考回路はやめて 若い子や二世を目立たせる裏方に徹するべきだと感じます。
皆さんはお父様に十分愛していただいたと感じておられますか?????
私は 実体でも霊的にでも 愛されたと感じております。
実の親よりも子として愛してもらったと感じております。
ですので 誰も名前を出さないから はい!!私サンクチュアリーに立ちますと手を上げたわけです。
原理を語りながら 堕落性丸出しの劉先生(勝利したサタン)
 その近辺で 一番 原理を研究できる場所に 神様 アボジに 追いやられた国進様
孝進様も 顕進様も誉進様も仁進様も 恩進様 も原理を理解されておられるのかと見た場合 クビを傾げたくなる行動を取っておられることが多々ありました。
騒ぐ必要のない レアの立場のお母様たちと 混同して 性大混乱の御子女様の性の問題は同等ではなく 
食口でも子女様でも韓オモニでも これが中心摂理とは 理解できなかったのです。
 子女様でも混乱した 信仰の土台を私達サンクチュアリーメンバーは
1993年の16万名の女性修練会以降 すこーーしずつ教育してくださった
天のお父様 真のお父様 イエス様に 感謝 感謝 感謝の言葉しかありません。


1988年の春 フォーダムロードで 1台の車に 黄色人種の兄弟とわかる 男性と女性が乗っておられ 彼が放った言葉が メンバーーか??? いつ教会に来たの???
がんばって!!!という言葉に 
>あれだれだっけ????
見たことある!!!!!あーーーーそうだーーーーーーー子女様だーーーーーー
大声でマンセーーーーーーとなるわけで!!!!
大迷惑だったに関わらず 手を振ってくださったことを 覚えております。
それからはや30年 こうして この前はおうちに招いていただき 感謝でした。
時の流れとともに 王様 こうしなければなりません 
王冠を被って!!!銃をもって!!!と
もっとも似つかわしくない王様に お父様の命令を伝え 悩み落ち込み 苦しむ王様を支え
乗り越えれるように励まし そして 兄でありながら 第一弟子として歩まれる姿は
私達 堕落人間の 見本であり 希望であるわけです。


天聖経
八 天国に対する正しい観
風が吹き、暴風雨が吹きつける恨があっても、自分が死んで滅びても、「この信念だけは間違いない。
自分が間違うことはあっても、み旨は間違いない」という確固不動の信念をもたなければなりません。
朝の信仰と、夕の信仰が違う信仰姿勢をもっていながら、天国を恋しがるなら、それはあまりにも愚かなことです。
 天国に接近することができる道とは、どんな道でしょうか。
自分を考える立場では、天国に行くことができる道は生じません。
自分が天国と距離が遠いということを発見するようになれば、自分というものを打破してしまわなければなりません。
自分を攻撃する所でのみ、天国、あるいは間接的な天国でも開放され得る道が開かれます。
しかし、自分を擁護する立場で、相対を自分に適用させようとする人、自分自らを主体的立場に置いて相対を引っ張っていこうという人は、天国とは関係を結べません。
 明らかなことは、天国は自分から成されるのです。
いくら相対的天国が完備されたとしても、その天国が呼ぶときに、答えることができる自分自身になれないでいるなら、その天国とは関係がなくなります。
 天国とはどのような所でしょうか。サタンを屈服した所です。
自身を屈服した所ではありません。
自体だけを屈服した所ではありません。
堕落した世界圏、習慣的な環境圏、あるいは常習化した所には、天国は臨むことができません。
この常習化された環境を、サタンが凝り固まって支配しているために、サタンがここに寓居しているために、このサタンの環境を克服してしまってこそ、天国が来るのです。天国は、サタン世界の内容と相反する所で成されます。
もし、そのようでなかったら、天国に成り得ません。天国という名前がついていても、それは環境をたぶらかすためのトリックにしかならないのです。
 天国という概念は、サタンを屈服した場所で、サタンが相対することができる一切の要因を否定した場所で、否定するだけでなく清算した場所で、成立することができます。
サタンの否定的与件が残っている、歴史的な遺物であるとか、生活のすべての内容を否定して清算した基盤で、天国が肯定され得るのであって、それを残しては、天国の内容を提示することはできないのです。
天国は、このように高貴なものです。
 絶対的基準の前に一致し得るものが天国だといいますが、我々が描く天国の概念は、あまりにも混み入っています。
あまりにも邪となった立場で、天国を待ち望んでいます。
このような生活環境で、絶対的な信仰基準をもって克服するところから天国が始まるのは間違いありませんが、それだけでは天国は決定され得ません。
その基盤で、数千年間神様を苦労させ、数多くの人類をもてあそんだサタンを克服してこそ、天国が繰り広げられるのです。
 そのまま素直に信じてだけ行く立場では天国が成され得ないということは、言うまでもありません。
信じる心だけもっては、絶対に天国が成され得ません。
その過程でサタンがいつも戦いを提示するために、戦いの路程を克服してこそ、天国が成されるのです。
ここには主権がなければならないし、数多くの民がいなければならないのです。数多くの家庭が、国家なら国家自体を成して、一つの目的のために克服していかなければなりません。
 神様の立場から互いに相いれないことなく、主体と共に、どんな時、どんな環境、どんな所でも、こたえて和動することができなければならないのです。
生命を捧げる覚悟をして信じる立場では、心に臨在する天国を感じるかもしれませんが、実体的な天国は成されません。
二千年の歴史を通して、数多くの殉教と受難の代価を払っても、現実の舞台で天国は成就され得ませんでした。
天国は、そのように簡単に成されるものではありません。
 聖書に、「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ二二・三七)という句があります。「主」という言葉は、永生について忘れられない、絶対的な内容を備えた立場で認識することができる言葉です。
主なる神を信じるところから、天国が到来するのではなく、主なる神を愛するところから、天国が来るのです。父のみ旨は愛するところから成されます。信じるところからではなく、愛するところから成されます。
 今まで我々の信仰がどれほど至らず、原則に到達するのに、どれほど遠い距離にいたかということを悟るべきです。ひょっとして、ここに初めて来た人がいるかもしれませんが、個人を中心としては、慰められ得る立場に行くことができるかもしれませんが、まともに天国は成されません。個人の心に天国が成されて、個人を中心として神様が喜ばれるといって、天国に成るでしょうか。それが、個人の天国にはなるかもしれませんが、全体の天国にはなれません。
 神様が願うことは、個人の天国ではありません。個人が成立させた天国を眺めて喜ばれるのではありません。一人が喜ぶのを見て、天国がすっかりできたと言えるでしょうか。神様は、喜ぶことができる一人、イエス・キリストをこの地に送ったのは、彼を中心に万国を横的につなげて、全体の天国を模索しようとされたのです。それゆえ、メシヤをこの地に送り、犠牲にしたのです。(四六―七四)


追加としまして サッカーのベルギー戦において 最後の1分で 日本はひっくり返されました。
 これこそ エバ国家 韓オモ二が起こした悲劇であるわけです。
国進様に お父様は オモ二はサタンだから と何度も繰り返されていたとお聞きしました。
 お父様の代理蕩減復帰のおかげで 何を勉強せずとも 何も考えずとも どんなに贅沢な ラグジュアリーゴウジャスな生活をされていても 
96パーセント 韓オモ二は勝利されていたのです。
完成級の祝福を受けておられなくても 最後の最後 どんなに苦しくても
どんなに腹立たしくても 亨進に従いますと支える姿勢を見せてさえいれば 
今までの 歴史以来すべての女性の悲しみは解放される方向に進んだわけです。
日本の統一教会員においても 苦労に苦労を重ね 清平がまともか?? 金ヒョウナムがまともか まともじゃないか 判断できないぐらいにがんばってきたのに
すべて 最後の1分間で衝撃的 にひっくり返ったわけです。
 良い方向にひっくり返ったのか????
100パーセントサタン側 サタンの愛する売春婦に神の娘は堕落したわけです。
1995年男性修練会のときも 君たち!!!10分の1残ればいいね??
残るかな????
手の平と 手のひらを上下に打ち鳴らして 1瞬 1瞬にして全部がかわるんだ!!!
 1瞬だ!!!とおっしゃられていた アボジの顔を体を思い出します
私はその時 
 >大げさな?????アボジ 大げさだよ!!!!と不信しておりました。
日本 ベルギー戦 身の引き締まるおもいでした。
 韓鶴子が来たからそうなったのか どうかは知りませんが 
最後の1分 大コケ ヨーーがんばった!!!でした。
牧師伝道で霊の子を3人立てられていた 元ニューヨークチャーチのおじさんの息子も出ていましたが
堕落した二世でもよくがんばったと思います しかし 親父 お袋同様 エバ国の二世らしく 潔く 最後の1分で負けたわけですが その前に韓鶴子とともにこけていますので
そこまでの動揺はありませんでした。
ありがとう goutoku  !!!! 

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