レアとラケル
ヤコブ家庭の摂理
それで、ヤコブ一代において、ラケルを中心として、ラケルを七年間、ヤコブが精誠を尽くして相対として求めたにもかかわらず、結婚の初夜に、それはラケルではなく、レアをヤコブの所に入れさせたのです。それで起きてみれば、大変なことです。「神様が、なぜそれを許したのか」と。こういう復帰の中心の家庭に、なぜこういうような悪辣な問題が起こるようにさせて、神様は保護されなかったかということが問題なのです。
その時、ラバンはサタンの側に立って言うのです。「神様。神様の家庭を復帰していくには、正妻では復帰できないことをあなたは知っています。それでも正妻で復帰するのだったら、サタンと共に人の家でもって交代に愛する立場に立ちますか?」と。絶対できないのです。怨讐の立場です。怨讐の立場でもって、憎む怨讐の立場から手を着けるようになっているのです。分かりますか? それは愛の一家という、独特の一人の旦那さんを中心として二人の女の怨讐圏、愛の相対関係の怨讐以外にありません。だから正妻と妾の関係です。分かりましたか? (はい)。
それで、ラケルが妾ではなくて、本妻になって、ヤコブと一つになっていたらそれでいいのに、堕落の系統から復帰されるには、正妻ではできないのです。分かりますか? 正妻の怨讐の女からです。それは分かりますね? (はい)。だから妾です。妾は正妻をさておいて、二番目のもっと過去より高い愛でもってつなぐのです。そこに、復帰伝統に一致する内容があるのです。
それで終末の時には、妾の子供たちが世界を指導していくのです。出世する者がたくさんいるのです。大概、自分たち女は言わないのだけれど、そういうような関係の因縁で、はらんで身ごもった子供たちがたくさん世界的な指導者になっているというのです。お母さんにはみな隠してしまっても、自分の旦那さんが横で三角関係を結んではらんで生まれた者が、天下を治めるということがたくさん起きているのです。分かりますか?
末の時期は、妾の子供が世界を指導して、こういうふうに切り返していくのです。(先生が黒板に図―4を書かれる)だから、なぜ離婚が末の時期に許されるようになったかというと、妾が離婚することによって、正妻の立場に立つようになるのです。分かりますか? これが離婚したとするならば、このヤコブとラケルが一つになるのです。また離婚することによって反対するようになれば、この離婚した本妻が元の旦那さんを探していくのに、何の差し支えもないのです。
図-4
再臨のメシヤが来た場合には、正妻も離婚することによって、妾も離婚することによって、本当の再臨の主の所に行くことができるのです。それはサタンに、「行くな!」とぶたれてもです。だから、末の時期において、離婚をなぜ神様が許したのかというと、神のほうに自由自在に、完成の旦那さんを訪ねて、神に帰る道を開いてやるために離婚という問題を、常識みたいな環境にしてきたということを知らなければなりません。分かりましたか? (はい)。君たちもそうでしょう。旦那さんをだましてここに来たのだけれど、すぐに帰れば離婚もできます。離婚は難しくないのです。それは誰が決めるかというと、男が決めるのではなく、女が決めなければなりません。優先権は女にあるのです。女はアダムの実体の女王様です。男は天使長です。金とか全権は、子供と共に女が持っています。
だから追い出した場合には、「君が子供と出ていけ」とは言わないのです。「私が出ていく」と言うのです。(笑い)分かりましたか? 心配しなくてもいい、そういう時代が来たのはなぜかというと、再臨のメシヤは泥棒みたいに来るというのです。サタンの世界から横的に見た場合、何の関係かというと、縦的には関係があるけれども、横的に見た場合には外の橋の向こうの陰で、内緒の奥間に住んでいる奥さんに、「来い、来い」と誘うことです。それは天使長がエバを「来い、来い」と誘ったと同じように、誘っているのです。そして目が合った場合には、惚れて大変です。死んでも離れることができないので、「垣根を飛び越え、家を飛び出していく」と言って、部落の騒動問題を統一教会が起こしてきたのです。だから、「家庭崩壊! 文先生は家庭破壊の大将だ! 悪者だ!」と、自分の力ではできないので警察に頼むようになったのです。先生が動機になったのではなく、女がみな動機になっているのです。
だから、ラバンが言うには、「復帰路程は、正妻でもってはできないことを知っているのではないですか?」。そうであれば、ラケルは本妻になれません。妾にならなければならないのです。それで、レアを許さざるを得なかったのです。分かりますか? レアは完全にサタンのほうです。自分の僕の三人の女を通して、十人の子供を生んだのです。ラケルは二人の子供を生んだのです。十二人です。これはレアの作戦で、ヤコブ家庭を自分のほうに完全にとりこにしたのです。ヤコブ自体もそれが分からなかったのです。こういうように内的に絡み合って、それで峠を越えて、明らかな道を開拓していくことを知らなかったのです。こういうふうにして、ヤコブ家庭はこうなっているのだから、こういう二つになって、これが一つになるのです。正妻は妾と一つにならないといけないのです。
図-5
一つにならなかったのはなぜかというと、ラバンの妻、レアの母の補助が必要であり、ヤコブのお母さん、それと姑と婿の補助が必要だったのです。この二人の母が一つとなったとするならば、それでラバンに対して、「何だ! この悪辣な者! 二人の女を売ってしまう! そんなことはない!」と言うべきです。それから、レアを呼んで「この者! 妹の愛を盗んだ泥棒!」と言うのです。ラケルを中心に心情的な痛みを残してはいけないのです。「君は妾だ!」そういうふうに言うべきです。分かりますか? 本当にそうなるべきです。「君が妾である」と。夫婦が共に公文を出して、舅と嫁がレアに対して、「この者!」と、一人が主張した場合には、本妻は妾の立場で一つにならなければ駄目です。レアの子供たちとは、カイン・アベルです。これを屈伏させて家族を統一するのです。二代の女が一つにならなければならないのです。分かりますか?(はい)。
第一代のアダムの奥さんを殺したのは女だから、第一代のアダムの代わりのお母さんが、自分の娘を一つにして、方向転換してやらなければならないのです。それを知らなかったのです。これが問題になったのです。一つにならなかったから、これがだんだんと民族的になって、北朝十支派を中心にして、南朝の二支派に分かれて争ったのです。(先生が図―5を書かれる)家庭で統一できなければ、民族的に戦うのです。
このすぐ上の内容を見ていくと
康オモニは 崔先吉先生の時も 韓鶴子の時も ラケルの立場は姜先生であり
そこで最終的に2人の子女を与えられる。
ヨセフは亨進様であり べニヤミンが国進様であり
末に子に10にんの子女様たちが侍らなければならないことがわかりました。
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