morison30000のブログ

新しい時代が到来しました。
2012年から 世界は大きく変わり始めました。
大いなる主体が地上を去り
永遠の対象であったものが 邪な誘惑に負け 偽の主体に立つことにより 韓国はもうすぐ消滅します。
カゴメ カゴメ 後ろの正面はだれなのでしょう!!!!
 

36家庭の安先生の21修において

アベルの伝統は愛の救済運動
蕩減復帰の峠を越えましょう!!!


 1995年1月19日 韓国・水沢里中央研修院
アベルの伝統は愛の救済運動
 それで神様は歴史上において、たくさんのアベルを死なせてきました。蕩減復帰は、カインを救うために自分の子供を死なせたのです。その痛みの傷がたくさん詰まっているのです。それで、本心の心情を思い出すたびに、先にアベルを死なせた悲しみの思い出が浮かんでくるというのです。分かりますか? そのようにたくさんのアベルを犠牲にしてきたということを考えれば、自分の直系の子供を愛することも忘れてしまうのです。アベルを死なせながら、反対される立場でも愛することによって、「私もアベルの後を継いで愛します」という、心情転覆運動を先生の一代でなしてきたのです。理解できますか?


 犠牲の多い過去を考える度に、それを見て死んでいったアベルの伝統を前面に立たせて、愛の救済運動をするようになったのです。そういう思いに三六〇度が包容されて、一方通行の救援の道をつくるようになったのですから、地上ではもう、サタンも反対することができないのです。その基盤が立ったので、サタンは自動的に逃げていくようになるのです。サタンもどうにもならないのです。


 それで地上に救援摂理を着手したのが、四〇〇〇年前だったのです。それ以前は、上がったり下がったりしていたのです。しかし、それを決めた以上は、堕落したという思いが入った場合には、みんな消されてしまうのです。そういうふうにして、何千万年も転覆させてきたのですから、神様の辛さ、神様の悲惨さが人類の根っこになっているのです。それを本当に体恤すれば、痛哭せざるを得ないのです。それで、涙なしに太陽を見るとすれば、太陽に恥ずかしいのです。水も飲むことができないし、空気を吸うこともできないのです。地上を踏むこともできないのです。万物を見るのも恥ずかしいというのです。そういう心情の根底を持って正しい復帰の道を行こうと思う者たちには、自分の姿勢、生活、体質をどのように処していかなければならないかということは、真剣なことです。そんなにもありがたい神様なのです。


 なぜ四〇〇〇年前に、神様は摂理を着手されたのでしょうか? 愛なる神様は、それ以前にはなぜできなかったのでしょうか? 心情基準、平和の基盤を立たせるためには、何千回も繰り返しが必要だったからです。あなたたちもそうです。永遠に忘れない心情を前面に立てて、無事通行できるように、神様はたくさんのアベルを殺されながら、アベルを失いながら、カインを救うために今まで働きかけてきたのです。ですから、休んでいないで、神様を押してやらなければならないのです。そのような事情を受け持ってきたのが、復帰の道であり、摂理の道であり、救援の道であったというのです。


 大変な負債をしているのです。先生から見ると、日本は立つことができないのです。そういう立場に、自動的に追い込まれていくのです。こんなことは誰も知らないことです。歴史家も知らなかったのですが、文先生によって初めて明らかにされたのです。そういう先生を迎えて直接に教わるという、その栄光は天下一品ですか、どうですか? (天下一品です)。これは、真剣なことです。


 それで文先生は、こういう心情を持って神様解放をしてきたのです。個人から世界まで勝利して、神様をお迎えして家庭まで連れてきたのです。ですから神様の喜びはいかばかりでしょうか。今では、もうアベルの血を見なくてもよくなったという、その喜びはいかばかりか考えてみてください。そういう者に反対する世の中はみんな滅亡です。民主主義世界のキリスト教国家も、四十年であのようにめちゃくちゃになりました。四〇〇〇年の戦いの真っただ中で勝利の王者となった者の前に、四十年でぺちゃんこになったのです。それは、文先生に反対したからです。それを理解できますか? (はい)。本当に先生がそういう内容と資格を持っているか、いないか、自分自身にも信じられないくらいに不思議な話です。不可解な話です。


 こういう蕩減復帰の宗教圏の背後の秘密を、天の秘密を知った場合には、それに責任を持たなければならないのです。天国の命令は生命をかけてでも成さなければならないのです。先生は、その総司令官のようなものです。ですから日本も反対せざるを得ないのです。サタンの世界だからです。それが、だんだんと文先生に引き寄せられて、半分以上は越えられるようになったのです。そういう内容を先生は持っていますか? (はい)。本当ですか? (はい)。先生が「そうではない」と言ってもですか? (はい)。そうなると、先生のような相対がどこにでもいるということですから、先生は死んだとしても嬉しいことです。希望を持っていいですね? (はい)。では、その希望は、神様の希望ですか、文先生の希望ですか? それは万民の愛の主人になる者の希望なのです。間違いありませんね? (はい)。

私たちは 安先生の21修から サラの信仰を教えていただきました。
上の男性修練会においても 神様がいつから 復帰歴史を始めたか言えば 本格的に 神様自ら着手されたのは 4000年前の アブラハム時代からなのであります。
それも 何十万年もの間人類は アダムエバから アベルは 虐殺に告ぐ虐殺であったわけです。
サラは 



創世記12:14,15


14 アブラムがエジプトにはいった時エジプトびとはこの女を見て、たいそう美しい人であるとし、


15 またパロの高官たちも彼女を見てパロの前でほめたので、女はパロの家に召し入れられた。


創世記20:1-3


1 アブラハムはそこからネゲブの地に移って、カデシとシュルの間に住んだ。彼がゲラルにとどまっていた時、


2 アブラハムは妻サラのことを、「これはわたしの妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは、人をつかわしてサラを召し入れた。


3 ところが神は夜の夢にアビメレクに臨んで言われた、「あなたは召し入れたあの女のゆえに死なねばならない。彼女は夫のある身である」。


 引用した二つのエピソードは、アブラハムの妻サラがその美しさ故にエジプトの王パロやゲラルの王アビメレクに気に入られ、妻として迎え入れられそうになった事件が記述されている。しかし現代のメンタリティーからすると、理解できないエピソードである。何しろ、パロがサラを妻として迎え入れようとした時、サラは少なくとも六十五歳(サラはアブラハムより十歳年下だった)で、さらにアビメレクの時には九十歳になっており、月経も終わり、子供を産める体ではなかったからである。
引用元


しかし安先生の講義では サラは 貞操を守るため 羊のパンツをはき うんこもおしっこもその中にして くさくなってきたら またパンツを重ね うんこおしっこ またパンツ
うんこおしっこまたパンツ うんこおしっこまたパンツという具合に 痒くてもくさくてもどんどん中身は腐っていき まるまると7枚も10枚も重ねて
アビメレクやパロが いよいよ 襲いかかって パンツをはぐたびに おぞましいにおいが立ち込め 最後にサタンの代身である アビメレクやパロは断念し アブラハムは 財産を得たわけです。
これが 女性の信仰であるわけです。
こういう内容を私は 英国で教えていただいたわけです。
安先生直接ではなく 多分高橋久雄兄か マイクモーアだったとおもいます。
ハガル とサラの摂理は レアとラケルの摂理に移行し エリザベツ マリアに移行し 
2000年を経て 崔先吉 姜ヒョンシル 
           崔元福 韓鶴子 の摂理となり 
1997年のヨンジン様の妻と 李ヨナ様の摂理に移行し止まったわけです。
その後 韓鶴子 姜ヒョンシルオモニに移行しまた再度動き始めたわけです。


  


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