morison30000のブログ

新しい時代が到来しました。
2012年から 世界は大きく変わり始めました。
大いなる主体が地上を去り
永遠の対象であったものが 邪な誘惑に負け 偽の主体に立つことにより 韓国はもうすぐ消滅します。
カゴメ カゴメ 後ろの正面はだれなのでしょう!!!!
 

武漢 湖北 湖南は呪われている!!!


【白川 司】武漢発 新型ウイルスで中国共産党は死ぬ【WiLL増刊号 #129】

肺炎で中国の国家戦略が受けている大ダメージ
2012年アボジが御聖和され 2013年には二代王も絶対性の礼拝をした事で
韓鶴子から追い出され
2013年以降 家庭連合は北朝鮮との関係が完全に崩れ 金正雲は完全野放しにしてしまったわけです。
2003年2月25日-2008年2月24日 盧 武鉉政権を立てたことにより
韓国はより左に傾倒し すでに郭ジョンファンや文顕進様がすでに裏工作に走り
娘さんも霊界に人事異動され 条件が奪われたわけです。
2009年 - 2012年 民主党政権により 日本も神様の責任を果たせない
悲惨な政治状態になり 中心軸である 日本の家庭連合も 摂理的に失敗 
2009年 2010年 2011年の韓鶴子との 完成級の祝福の失敗により
東日本大震災が発生したと見ます。

新型コロナウイルス、日本が感染国候補に。世界経済損失17兆円!?(釈量子)
めまぐるしく回る 時代の流れの中で このような世界現象は どうしてここまで
おかしくなってしまったのでしょうか???




【白川 司】ポスト文在寅は⁉︎ 韓国で大粛清が始まる【WiLL増刊号 #130】

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​患難の時を用意された意味


「侍りたいお父様」  一九六一年二月十二日 
『文鮮明先生み言選集第十一巻』



神様は終わりの日になれば、人類の前に7年の大患難があるだろうと予告されました。
この患難時期は6000年の歴史路程において、天の悲しい曲折が聖徒にぶつかる時です。人間の絆がみな壊れていき、信じられない環境にぶつかる時です。
自分がどんなに良心的に正しく生きたとしても、その良心で自らの生涯を主張できない時です。
み旨を抱き、考えのある者であればあるほど、眺(なが)めるあちこちに苦痛を感じる時です。そのような時が、終わりの日の7年大患難の時です。

 その時は、希望が揺れる時であり、私たちが信じている信仰の中心が揺れる時であり、信じて従った指導者が揺れる時です。
主義はもちろん、宗教、良心、父母の心情までもすべて揺れる時です。


 では、神様はなぜそのような世の中をつくっておかなければならないのでしょうか。それは真の神様、歴史的に苦労した神様と同参したという価値を与えるためです。
神様は6000年間数多くの惨状(さんじょう)を見てきましたし、数多くの曲折を受けられたので、終わりの日においては、主義とか、信仰ということをもって中心を立てることのできない環境にぶつかるようにするのです。
そのような患難の中でも「神様を愛する」と言う、そのような難しい場でも「神様と共に生きる」と言い得る真の息子、娘を探すために、そのような時が来るというのです。

 
それゆえ皆さんは、教会が揺れるのを見て悲しむことなく、ある主義が動揺するのを見て悲しむことなく、ある主権者が倒れるのを見て悲しむことなく、自らの父母が変わったと悲しむことなく、自らの兄弟が変わり果てたと悲しまないでください。
頼り、信じていた世の中のすべてが動揺しても、皆さんの心は平然としていなければなりません。
神様は動揺せず、この時間も私を訪ねてこられるということを知らなければなりません。神様が私たちに苦痛を与えるのは、神様との貴い一日、神様が経てきた苦痛の因縁を私たちに結んでくださるための、大きな約束であることを知らなければなりません。
そのような場で天を抱き締め、「一緒に行きましょう。
共に闘いましょう。
共に行動しましょう」と叫んで立つ人を探すために、そのような世の中が必要だというのです。

 
ですから皆さん、進む道がふさがったと落胆しないでください。
この国が乱れると気落ちしないでください。神様は死んではいません。
この世界がどんなに乱れても、気落ちしないでください。
神様は死んではいません。
神様は必ず訪ねてこられます。
すべてが動揺しても、天に対する一片丹心だけは動揺させないでください。
天を頼って仰ぐ希望の心だけは変わらないでください。
その心を変えようとするために、神様が皆さんをいかなる苦痛の場に追い込んだとしても、その場で父を呼ぶことができる心をもたなければなりません。
いかなる場に落ちても、その場で天の心情のひもをつかんで上がろうと努力しなければなりません。
地獄に落ちる苦痛を感じる恨があったとしても、父と共に参与する立場に立って父の苦痛を私が思いやって、その父は私の苦痛を察してくれることを信じて、そのような場でも行くという責任と義務を感じていくならば、皆さんは滅びないでしょう。



 今日、数多くのキリスト教徒がいますが、そういう信者が果たして何名になるでしょうか。私たちは父に侍るのに、天上の宝座に座っていらっしゃる父に侍るのではなく、死亡の波打つ中で真の息子、娘を探すために御苦労される父に侍らなければなりません。
その父を私の父と知り、その父の事情を私の事情として、その父の心情を私の心情として、その父の願いを私の願いとして訪ねてこられる父の前に雄々しく立って、「あなたの息子を探すことがあなたの願いであることを知って、その息子を探し、あなたの歴史的な曲折を解くことが、あなたの事情であることを知って、失った息子を抱き締めて愛したいのがあなたの心情であることを知りました。
どのような塗炭の苦しみと患難と難しさの中にあったとしても、私があなたの願いの実体であり、事情の実体であり、心情の実体です」と自信をもって立たなければなりません。このような者であってこそ父の息子であり、またその父に侍ることができる者になるということを皆さんは知らなければなりません。
この御言葉から 7年の艱難の始まりは 韓鶴子であることが理解できます。