morison30000のブログ

新しい時代が到来しました。
2012年から 世界は大きく変わり始めました。
大いなる主体が地上を去り
永遠の対象であったものが 邪な誘惑に負け 偽の主体に立つことにより 韓国はもうすぐ消滅します。
カゴメ カゴメ 後ろの正面はだれなのでしょう!!!!
 

韓国 中国は儒教国家である

儒教にキリスト教が入り込み ピョンアンが東洋のエルサレムになり
アボジは キリスト教徒に家族ごとなったと!!!
では 儒教は何処から来たのでしょうか???
儒教ははっきり言えば ユダヤ教であるわけです。


儒教とキリスト教が合体することによって再臨主の生まれる基盤が整われたわけです。


儒教は 
神様と心をなくした律法に
 キリスト教
神様と心
が結合され人間となったわけです。


しかしせいぜい 1800年代後半からでありたかだか 200年


日本は


神道 ユダヤ教を忘れ 神様を形式化した信仰(ただ事をちゃんと行わなければたたられ殺される恐怖信仰) に 仏教神様がわからない 心が入り込んだわけで


それでも 神道を継続させ て2400年????


貫いた男系ゆえに  日本人は 神様イコール 恐怖であるわけです。


ですので たった200年ぽっちの韓国人が 日本人食口に威張る時点で


ただかわいそうな方たちなのです。


ただ 家老が利口で 殿様は馬鹿 そんな伝統をうけついでいますので 殿様の暴走にはなにも言わず ただひれ伏して 黙る癖があり 婦人達も夫を馬鹿にしているふしがあるのです。


婦人も夫と共に サンクでがんばろうとする方達は 夫に御言葉を伝え 子女に御言葉を伝えようとされますが 妻だけが暴走し アベルだけをヨイショする始末 


何をカン違いしたのか 日本人の前に立てない 無能な金明大を 天狗にさせ 金を握らせ お部屋を貸して倉庫にさせてきたあほな馬鹿女それも大分人でした。


儒教とキリスト教の合体これが ある意味人間の形であり


神道と仏教の ハーモニー これが 人間の形であったわけで


儒教とキリスト教のハーモニーは 北朝鮮であり 韓国ではないのです。


特に韓国人幹部は 儒教か仏教か呪詛の信仰しかなかったわけです。


ですから それらの思考には 神様よりも欲望が強いのであり


公金と自分のお金の区別が付きませんので いつも損得で物事を考えておりますので


サンクチュアリーでは 損になる為 公職者はこれなかったわけです。


先に講義をしてくださった 井田講師や 中村さんがこれなかった理由がそれです。


良く洗脳されていたわけです。


それらが お父様が1992年にご入国できなくなった以降 大量に蕩減復帰の為に
韓国人中心者が訪れ 混乱を招き 清平で 満遍なく洗脳が始まり二世まで
その洗脳の犠牲者になったわけです。
韓鶴子が姉で 日本人姉妹が妹 であるならば そのトップは 韓鶴子並みのサタン的背後 怨み ねたみ 嫉妬を内包している それがお父様の選んだ アイアンウーマン
江利川会長だったわけです。
江利川会長を悪く言う方も多いですが サタンの讒訴条件を回避する為には 
善人では発展が無いため 爆発的堕落性を内包された江利川会長が悔い改めて二代王に従い今まで彼女がただ殺してきた中心者を育てて初めて
日本及び世界が回るわけです。
がんばれ!!!江利川会長!!!
無知で馬鹿な 奴隷 家庭連合では生き残れないのです。
特に韓国人はクリスチャンのふりをしている方が多く 表面的優しさであり
 為に生きるという それは無いのです。
基本神様の愛だけですので 近くのサンクの2世を見ても 恐れ 敬う姿勢はないのです。
北朝鮮は優秀だったわけで そこをサタンが全部奪ったわけで
 韓国は 頭のない下半身だけの欲望国家になり果てたわけです。
だから お父様は 日本人 世界に韓国語を学べとおっしゃられたわけです。
 99パーセント 韓国人には 原理は理解できないのです。
儒教とキリスト教の歴史が浅すぎるわけです。
赦されてますよーーー愛されてますよーーー何でもオッケーーーですよーーーハレルヤーーーハレルヤーーーカトリックサイコーーー モルモンサイコーーー
と言われていた 守衛のおじさんを思い出します。
2代王の御言葉を学べばよいのですが み言葉には興味を持たず 原理を知らない教会長
そういう方もおられます。


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​患難の時を用意された意味


「侍りたいお父様」  一九六一年二月十二日 
『文鮮明先生み言選集第十一巻』



神様は終わりの日になれば、人類の前に7年の大患難があるだろうと予告されました。
この患難時期は6000年の歴史路程において、天の悲しい曲折が聖徒にぶつかる時です。人間の絆がみな壊れていき、信じられない環境にぶつかる時です。
自分がどんなに良心的に正しく生きたとしても、その良心で自らの生涯を主張できない時です。
み旨を抱き、考えのある者であればあるほど、眺(なが)めるあちこちに苦痛を感じる時です。そのような時が、終わりの日の7年大患難の時です。

 その時は、希望が揺れる時であり、私たちが信じている信仰の中心が揺れる時であり、信じて従った指導者が揺れる時です。
主義はもちろん、宗教、良心、父母の心情までもすべて揺れる時です。


 では、神様はなぜそのような世の中をつくっておかなければならないのでしょうか。それは真の神様、歴史的に苦労した神様と同参したという価値を与えるためです。
神様は6000年間数多くの惨状(さんじょう)を見てきましたし、数多くの曲折を受けられたので、終わりの日においては、主義とか、信仰ということをもって中心を立てることのできない環境にぶつかるようにするのです。
そのような患難の中でも「神様を愛する」と言う、そのような難しい場でも「神様と共に生きる」と言い得る真の息子、娘を探すために、そのような時が来るというのです。

 
それゆえ皆さんは、教会が揺れるのを見て悲しむことなく、ある主義が動揺するのを見て悲しむことなく、ある主権者が倒れるのを見て悲しむことなく、自らの父母が変わったと悲しむことなく、自らの兄弟が変わり果てたと悲しまないでください。
頼り、信じていた世の中のすべてが動揺しても、皆さんの心は平然としていなければなりません。
神様は動揺せず、この時間も私を訪ねてこられるということを知らなければなりません。神様が私たちに苦痛を与えるのは、神様との貴い一日、神様が経てきた苦痛の因縁を私たちに結んでくださるための、大きな約束であることを知らなければなりません。
そのような場で天を抱き締め、「一緒に行きましょう。
共に闘いましょう。
共に行動しましょう」と叫んで立つ人を探すために、そのような世の中が必要だというのです。

 
ですから皆さん、進む道がふさがったと落胆しないでください。
この国が乱れると気落ちしないでください。神様は死んではいません。
この世界がどんなに乱れても、気落ちしないでください。
神様は死んではいません。
神様は必ず訪ねてこられます。
すべてが動揺しても、天に対する一片丹心だけは動揺させないでください。
天を頼って仰ぐ希望の心だけは変わらないでください。
その心を変えようとするために、神様が皆さんをいかなる苦痛の場に追い込んだとしても、その場で父を呼ぶことができる心をもたなければなりません。
いかなる場に落ちても、その場で天の心情のひもをつかんで上がろうと努力しなければなりません。
地獄に落ちる苦痛を感じる恨があったとしても、父と共に参与する立場に立って父の苦痛を私が思いやって、その父は私の苦痛を察してくれることを信じて、そのような場でも行くという責任と義務を感じていくならば、皆さんは滅びないでしょう。



 今日、数多くのキリスト教徒がいますが、そういう信者が果たして何名になるでしょうか。私たちは父に侍るのに、天上の宝座に座っていらっしゃる父に侍るのではなく、死亡の波打つ中で真の息子、娘を探すために御苦労される父に侍らなければなりません。
その父を私の父と知り、その父の事情を私の事情として、その父の心情を私の心情として、その父の願いを私の願いとして訪ねてこられる父の前に雄々しく立って、「あなたの息子を探すことがあなたの願いであることを知って、その息子を探し、あなたの歴史的な曲折を解くことが、あなたの事情であることを知って、失った息子を抱き締めて愛したいのがあなたの心情であることを知りました。
どのような塗炭の苦しみと患難と難しさの中にあったとしても、私があなたの願いの実体であり、事情の実体であり、心情の実体です」と自信をもって立たなければなりません。このような者であってこそ父の息子であり、またその父に侍ることができる者になるということを皆さんは知らなければなりません。
この御言葉から 7年の艱難の始まりは 韓鶴子であることが理解できます。