morison30000のブログ

新しい時代が到来しました。
2012年から 世界は大きく変わり始めました。
大いなる主体が地上を去り
永遠の対象であったものが 邪な誘惑に負け 偽の主体に立つことにより 韓国はもうすぐ消滅します。
カゴメ カゴメ 後ろの正面はだれなのでしょう!!!!
 

サンデーサービス お誕生日 敏感になってください!!


悪に抵抗しなければならない2020/09/27 日曜礼拝 (日本語訳) [Sanctuary Translation]



下の記事です。
中国 聖書を改ざん書き換えた 

 クリスチャンは女性を石で打ち殺した!!!! 

【キリスト教徒が烈火の如く大激怒!中国が聖書を書き換えキリストを冒とく!】中国共産党が神をも恐れぬ大暴挙!聖書を書き換え「キリストを〇人者」に!信じられない事態にキリスト教徒が大激怒!
来年には キリストは中国人だったになるかも???

Progressive NOH dance | SAMSTARS | TEDxGotanda
東京ドーム500個分 多分それの10倍 聞くところによると 静岡県の大きさの土地が
 すでに中国人主菅であるわけです。
 

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1
くらきちからが われをおそい
おもいみだるる よわきわれ
おのがおもいのみ わずらいて
つみはわがみに うまれいづる
つみはわがみに うまれいづる


2
たずねしわがしゅの みこえきけず
むちなるわれは かたくなに
おのがよろこびに あゆみしに
しゅはなきじゅうじかに かえりたもう
しゅはなきじゅうじかに かえりたもう


3
ながきやみよを すくわんため
けわしきあれのを あゆみつつ
しすべきわれらを たずねたもう
わがしゅのめぐみに いかにこたえん
わがしゅのめぐみに いかにこたえん


4
さかえのきみに まみえんと
つみのこのよと たたかいて
くるしみあえぎつ あゆみきた
わがみにしゅはいま かたりたもう
わがみにしゅはいま かたりたもう


5
さかえのこのひを ほめうたわん
えいせいごくらく よもにみち
つみとがふかき このみにも
あらたなるいのち みなぎれり
あらたなるいのち みなぎれり


6
おおわがしんぷよ きたりしか
いわやまあれのに われをたずね
くるしみたえきし ながすがた
このひをねがいて たえきしか
このひをねがいて たえきしか


7
いざいざきたりて ともにたたえん
ながためそなえし このひまで
ひめきしたから たえなるあい
ながためそなえし まことのあい
ながためそなえし まことのあい

6 悩める心に
● 罪人の立場で闇のカを表現するとともに天からの愛をうたっています


 この歌の原題の意味は「真っ黒い、暗闇に囲まれた勢力」です。定かに見えないけれども、恐るべき不気味さで迫る、闇に覆われた力-。」


 「一番恐ろしいもの。それは目に見えるサタンより、じんじんと霧のように迫ってくる霊的圧迫だ」と文先生が語られたことがあるそうです。この歌はまさにそのような闇の力を--命と存在そのものまで根こそぎ飲み込んでしまうような力を--表現しているのではないでしょうか。それは一番二番の歌詞を読むとよく分かります。


一九六五年、訳詞をした桜井節子さんは次のように話しています。


 「この歌は、私たちの立場に立ってうたい始められています。この歌詞を訳しながら『先生はだれよりも罪人の立場の苦しみをご存じである』と、私は感じました。罪に悩む私たちが主を待ち望んで、苦しみあえぎつつ歩む路程を、本人以上に胸を痛め苦しんでおられると思いました。だからそのころ(日本にこの歌が伝えられた当時)、この歌をよく泣きながら皆でうたったものです。七番まであるので、今はちょっと長い歌だと思うでしょう。でも味わいながらうたうと、ひしひしと先生の語りかけを感じるし、涙が流れるし、心霊を高められたものでした。歌詞としては、原詩の意味を、とてもよく表すことができたのではないでしょうか。一番から五番までは罪人の立場からうたわれ、六番と七番は、そういう私たちに語りかけられる天からの愛の言葉ですね」全部は紹介しきれませんが、一、六、七番の韓国語の歌詞の直訳を紹介しましょう。



一、(悪から出た私たちは)暗闇に覆われた勢力が自らの内に沈んでくると(積もってくると)、自分も知らない闇に誘惑されてしまう、誤った心を抱いている私である。自分のことばかりに思い悩んでしまう。私の一身に、暗闇の力は始まるのだなあ(罪は私の中から芽生えてくるのだ)。


六、愛するわが新婦よ。あなたは今来たのか。私を探して険しい峠を幾たびも越えながら、行き詰まるとき、わが主様と呼んだ、あなたのその姿。この一つの希望を願って(いつの日か必ずお会いできると思いながら)、あなたは耐えてきたのだ。


七、さあ早くここに来て、共に喜び楽しもう。あなたのために今まで準備してきた秘密なる(隠した)無限の宝、たえなるくすしき愛がここにある。あなたのために準備した(全部あなたにあげようと思って準備した)真の愛である。



作詞は一九五一年、釜山(プサン)市東区の凡一洞の小屋においてだと何っています。文先生が手帳にこの詩を書いておられるのを、全元弼(キムウォンピル)先生が見つけて書き写しておかれたそうです。後に発表され、一九五○年代後半に曲をつけ、うたわれるようになりました。