morison30000のブログ

新しい時代が到来しました。
2012年から 世界は大きく変わり始めました。
大いなる主体が地上を去り
永遠の対象であったものが 邪な誘惑に負け 偽の主体に立つことにより 韓国はもうすぐ消滅します。
カゴメ カゴメ 後ろの正面はだれなのでしょう!!!!
 

スパーの前でいただいたリマ 





【速報⑳】なぜ敵はここまで必死なのか?追い込まれてるのは敵陣営なのでは?
 旧約聖書を開いてマラキの預言を調べてみましょう。「主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる」(マラキ書四・五、六)。イスラエルの人々は神の約束をはっきりと知っていました。彼らは暗唱していました。ですから、彼らはメシヤが現れる前にエリヤの来ることを予期していました。メシヤが来た時に彼らは当然、「エリヤはどこですか」と尋ねました。


 エリヤはイエス様より約九〇〇年前に奇跡的な業を行った預言者でした。そして彼が火の車に乗って天に昇ったということが書かれていました。
エリヤが天に昇ったのですから、彼は天から下ってくるものだと思われていました。
そのような奇跡がイエス様が現れる前に起こったでしょうか。
人々はエリヤの到来について何かニュースを聞いたでしょうか。
いいえ聞きませんでした。
しかし彼らが実際に聞いたのはある日、「私は神の子である。神のひとり子である」と宣言しているイエス様の声でした。
そしてイエス様は、弱々しくではなく、権威と力をもって語りました。
そんな人間は無視することはできません。
これはイスラエルの人々に大変なジレンマをもたらしました。
彼らは直ちに、「もしイエスがメシヤなら誰がエリヤだ」と聞きました。
彼らは当時、メシヤを待ち焦がれていたので、エリヤをも待っていたのです。
彼らはエリヤは空の上の天国からまっすぐ下ってくるものだと信じ、メシヤもそのすぐあとで同じようにして降臨するものだと思っていました。


 ですから、イエス様が神の子として宣言された時、ユダヤ人たちは困惑しました。
もしエリヤが来ていないのなら、メシヤが来るはずはありません。
そしてエリヤが来たということは誰も聞いていません。
イエスの弟子たちもまた、混乱しました。彼らが福音を宣べ伝えに出かけていった時、人々は、イエスの弟子たちがエリヤの到来を証明できなかったので、イエスがメシヤであることを執拗に否定しました。
彼らはどこへ行ってもこの問題に直面しました。


 イエスの弟子たちは旧約聖書については知識がありませんでした。
彼らが宣教に出かけていくと、多くの知識人たちは、「君たちは旧約聖書を知らないのですか。
君たちはモーセの律法を知らないのですか」と質問して彼らを言い負かしてしまいました。弟子たちは律法や預言者の文を通して攻撃されると、困惑しました。
ある日、彼らはイエスのもとに帰ってきて質問をしました。


 『いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか』。答えて言われた、『確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。
しかし、あなたがたに言っておく、エリヤはすでにきたのだ。
しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。
人の子もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう』。
そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った」(マタイ一七・一〇~一三)。
イエスによると洗礼ヨハネがエリヤだったのです。


 これは本当です。
我々はイエス・キリストの言葉に従って真理を決定してきました。
しかしイエスの弟子たちはこのことを、長老や祭司長や律法学者たちに納得させることができませんでした。
彼らにとってこの話はただばからしいものでした。
そのような考えを支持する唯一の権威は、ナザレのイエスだけでした。だからこそ、洗礼ヨハネ自身の証言がとても重要だったのです。
でもどうでしょう、ヨハネ自身も質問を受けた時に、自分はエリヤではないと否定したのです。彼の否認によってイエスは偽り人のよう見えました。


 聖書によると、「さて、ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司たちやレビ人たちをヨハネのもとにつかわして、『あなたはどなたですか』と問わせたが、その時ヨハネがたてたあかしは、こうであった。
すなわち、彼は告白して否まず、『わたしはキリストではない』と告白した。そこで、彼らは問うた、『それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか』。彼は『いや、そうではない』と言った。『ではあの預言者ですか』。彼は『いいえ』と答えた」(ヨハネ一・一九~二一)。ヨハネは自分で「私はエリヤではない」と言いました。しかし、イエスはその前に「彼はエリヤである」と言ったのです。
 ヨハネの答えで、人々がエリヤが来たことを知ることはほとんど不可能になりました。
しかし、イエスはとにかく真理を宣言したのです。
彼は、「もしあなたがたが受けいれることを望めば、この人(バプテスマのヨハネ)こそは、きたるべきエリヤなのである」(マタイ一一・一四)と言ったのです。
イエスは大部分の人々は真実を受け入れることができないことを知っていました。
その代わりに彼らはイエスの動機づけを質問しました。
イエスがメシヤらしくあるためにエリヤがまず最初に来ていなければなりません。そこで人々は、イエスが自分を偉く見せるためにうそをついていると思ったのでした。


 これはそれほど深刻な状況でした。あの当時、洗礼ヨハネの影響力はイスラエルの隅々にまで及んでいました。
しかしイエス・キリストは、彼の社会の中では、世に知られない目立たない人物でした。
誰もイエスの言葉を真理として受け取る立場をとれませんでした。
このヨハネの失敗がイエスの十字架の主要な原因となったのです。


 洗礼ヨハネは既にヨルダン河で神の霊がイエスの頭の上に下っているのを見ていました。その時に彼はこう証言しました。



 「わたしは、御霊がはとのように天から下って、彼の上にとどまるのを見た。わたしはこの人を知らなかった。しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったそのかたが、わたしに言われた、『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである』。わたしはそれをみたので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである」
(ヨハネ一・三二~三四)。


 なるほど、洗礼ヨハネは証を立て、その時神が彼に望んだ使命を果たしました。
しかし、あとになって彼は疑うようになり、ついにはイエスを取り囲む多くのうわさに負けてしまいました。
あるうわさは、イエスは父なし子、私生児だと言いました。
洗礼ヨハネはもちろんそのうわさを耳にし、そんな人間がどうして神の子であるはずがあろうかと疑いました。
彼はイエスの証をしましたけれども、ヨハネはのちに疑うようになり、彼を裏切りました。もし洗礼ヨハネがイエス・キリストと真に協力していたとすれば、彼は人々をして、イエスをメシヤとして受れ入れさせたでしょう。
というのは、当時洗礼ヨハネがもっていた力と影響力はとても偉大だったからです。


 私は皆さんに、尋常ならざることを話していますから、皆さんは私が何の権威によって話しているのかと聞かれるでしょう。
それは聖書の権威と啓示の権威です。さあ、一緒に聖書を一語一語読みながら、洗礼ヨハネがいかに振る舞ったか見てみましょう。


 「さて、ヨハネは獄中でキリストのみわざについて伝え聞き、自分の弟子たちをつかわして、イエスに言わせた、『“きたるべきかた”はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか』」(マタイ一一・二、三)。


 これは彼がイエスを神の子として証してからずっとあとのことです。
どうして彼は、「あなたが神の子として来たるべきかたですか」などと、神霊の証を受けたあとで聞くことができるのでしょうか。
イエス様は本当に悲しかったのです。
彼は怒りを感じられました。
イエス様は洗礼ヨハネに対して、「はい」とか「いいえ」という明解な答えを与えることを拒否しました。
その代わりに答えて言いました。
私につまずかないものは幸いである」。
イエス様が言われたことを言い換えてみましょう。
「ヨハネよ、私はあなたがわたしにつまずいたことを残念に思う。一度はあなたは私を認めた、しかし今は私を疑っている。
あなたの信仰がそんなに弱かったのを見て、とても残念だ」。


 この出来事のあとで、イエス様は御自分の弟子たちにヨハネのことについて話されました。彼は弟子たちに修辞的な疑問を発したのです。


 「あなたがたは、何を見に荒野(あらの)に出てきたのか。
風に揺らぐ葦であるか。
では、何を見に出てきたのか。柔らかい着物をまとった人か。
柔らかい着物をまとった人々なら、王の家にいる。
では、なんのために出てきたのか。
預言者をみるためか。
そうだ、あなたがたに言うが、預言者以上の者である。『見よ、わたしは使いをあなたの先につかわし、あなたの前に、道を整えさせるであろう』と書いてあるのは、この人のことである」(マタイ一一・七、一〇)。


 ここでイエス様が言おうとしていることはこういうことです。
「ヨハネよ、あなたは、荒野に預言者以上のもの、神の子メシヤを見に行ったのだ。
あなたは多くのものを見たが、あなたの使命の中核である重要なところを見逃してしまった。
あなたは、本当に、私を認めることができず、神の期待に沿うことができなかった。
あなたに『備えられた民を主のために準備する』ことを期待したのは神なのだ。
あなたは失敗してしまった」。


 イエス様はこのように結びます。
「あなたがたによく言っておく。
女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起こらなかった。
しかし、天国で最も小さい者も彼よりは大きい」(マタイ一一・一一)。
従来のキリスト教の解釈では、決してこの矛盾する一節を完全に説明することはできませんでした。


 歴史の流れの中で、預言者の使命はメシヤのために備えかつ証をすることでした。
預言者はいつもずっと先のことを証してきました。
洗礼ヨハネは預言者の中でもっとも偉大な人でした。
なぜなら、メシヤと同時代の預言者というだけでなく、自ら生けるメシヤに証言できた預言者だったからです
。霊界にいるどんな小さな預言者でさえも、イエスが神の子であることを知っていました。だから、最も偉大な使命を与えられたヨハネが失敗した時、最も小さい者よりも小さい者になったのです。


 イエス様は言いました。
「バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。
そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている」(マタイ一一・一二)。
洗礼ヨハネは神によって選ばれた器でしたが、イエス様の第一弟子になることを拒んだのです。彼は自らの責任を果たすことができず、シモン・ペテロが、彼の信仰の力で自らの長所のゆえに、中心の位置を獲得したのでした。
洗礼ヨハネよりも信仰の面でより強く、がむしゃらな他の人々が、イエス様と共に、地上における神の国の実現をかけて、ひたすらに闘ったのです。
洗礼ヨハネに忠実に従った篤信な人々は、本来なるべきであったキリストの十二使徒や、七十人門徒になれませんでした。
もし洗礼ヨハネがイエス様の第一弟子になっていたとすれば、この二人は協力してイスラエル全土を統一していたでしょう。
しかし現実には洗礼ヨハネは、神の子に従わなかったのです。


 ある日、ヨハネの弟子たちがヨハネのところに来て尋ねました。
「先生ごらん下さい。ヨルダンの向こうであなたと一緒にいたことがあり、そして、あなたがあかしをしておられたあのかたが、バプテスマを授けており、皆の者が、そのかたのところへ出かけています」(ヨハネ三・二六)。彼らは質問の中でこう心配しているのです。「イエスのところへ行っているたくさんの人々を見てください。
あなたは行かないのですか」。
洗礼ヨハネの答えは「彼は必ず栄え、わたしは衰える」でした。


 通常クリスチャンはこの句を、ヨハネの謙遜な人格の表れと解釈しています。
これは彼の言葉の意味を間違って理解しています。
もしイエスとヨハネが一致協力していたなら、彼らの運命の盛衰は同じはずでした。
そうすれば、ヨハネの地位が下がっていくならば、イエス様は御自身の評価を高めることはできません。
自分の勢力の減少こそが、ヨハネが恐れたことなのです。
ヨハネはかつて、メシヤは「そのくつを(私が)ぬがせてあげる値うちもない」(マタイ三・一一)方であると言いました。
そうでありながら、イエスが神の子であると知ってからも、イエスのあとに従うことができなかったのです。
洗礼ヨハネにはどんな言い訳もできません。
彼はイエスに従うべきだったのです。


 神はヨハネをメシヤの先駆者として送ったのでした。
彼の使命は次のごとくはっきりと定義されていました。
「整えられた民を主に備える」(ルカ一・一七)と。しかしヨハネの裏切りによって、イエス・キリストには彼の宣教を始めるべき何らの基盤もありませんでした。
人々はイエスを迎えるべく整えられてはいませんでした。
それゆえに彼は故郷から出て、人々が彼を信ずることができる基盤をつくろうとして、たった一人で働かれたのです。
洗礼ヨハネが失敗したことについては疑いの余地がありません。彼はイエスの十字架について直接責任があります。


 皆さんは、新たに「何の権威によってこれらのことを言うのか」と問われるかもしれません。私は霊界でイエス・キリストと話をしました。そして洗礼ヨハネとも話をしました。
これが私の権威です。
もし皆さんがこの場で、私の言葉が真理かどうか決めかねるとしても、いつか必ず分かる時が来るでしょう。
これらは皆さんに、新しい天啓として示された隠された真理です。
皆さんは私が聖書によって話すのを聞きました。
もし皆さんが聖書を信ずるなら、私の話をも信じなければなりません。
神様は生きておられます。

アボジは生きておられます。
御言葉も生きています。
聖書も生きています。
イエス様も生きています。
これを学ぶと ペンスが犯した罪は 霊的死に値する罪だと感じます。



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