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新しい時代が到来しました。
2012年から 世界は大きく変わり始めました。
大いなる主体が地上を去り
永遠の対象であったものが 邪な誘惑に負け 偽の主体に立つことにより 韓国はもうすぐ消滅します。
カゴメ カゴメ 後ろの正面はだれなのでしょう!!!!
 

イエス幼少年期イエスの教育について -外典「幼時福音書」の分析- 安川 哲夫* * 教育基礎学専攻 教授

 1508年にチューリッヒで出版されたカレンダーの扉には、後光を付けた聖母マ リアがイエスを連れて教場に入っている姿が描かれている(図11))。イエスは この時代の図像では一般に見られるホーン ブックを手にしていないけれども、これが 入学の様子を描いたものであることは明ら かである。図の上のドイツ語の説明文には マリアの言葉が記されていて、その最初の 二行には、「私はこれまでわが子を立派に 育ててきた。喜んでこの子を学校に行かせ ようと思う」と書かれている。次の二行で マリアは教師にわが子を誠実に教えてくれ るように頼み、そして最後に、イエスに喜 んで愛を教え、彼のために最善を尽くそう、 と教育意志の継続を表明する。  この銘を重ね合わせて図を読むと、マリ ア、イエス、教師の各ポジションにも意味 があることが分かってくる。左手に書物を 持つマリアは、これまでのイエスの教育が 聖書に基づいたものであり、自分がその責
幼少年期イエスの教育について -外典「幼時福音書」の分析-
安川 哲夫*
* 教育基礎学専攻 教授
筑波大学大学院人間総合科学研究科教育基礎学専攻『教育学論集』第9集,2013. 2
、あの「疑い深いトマス」ではない。まして や『トマスの福音書』の著者と同一の人物でもない。11世紀に追加された著者ト マスの名は、あくまで幼時福音書に権威をもたせるために利用されたにすぎない。  第1章には、写本の通例にならって、本書の“序”にあたる書き出しの言葉が こう記されている。   「わたし、イスラエル人トマスは、異邦人であるわが兄弟たちすべてに、わ が主イエス・キリストの幼年時代の大いなる行状と、彼がわれわれの地で生 まれてから後に行った事柄すべてを知らせる必要があると考える。その始め は次の通りである。」 第2章が、したがって、イエスの幼時物語の実質的な始まりとなるが、幼時福音 書の作者が読者として念頭に置いていたのが「異邦人たち」 (the Gentiles)であっ たことは、この作品の読解においてきわめて重要であると思われるので一言説明 しておこう。「異邦人」とはここではユダヤ人以外のキリスト教徒を指す。ユダ ヤ人はモーセの律法を守らない他民族を異邦人と呼んで蔑んでいたが、この異邦 人たちの地域にパウロやバルナバらは布教活動を行い、キリスト教会は信者を増
やしていく。ところがエルサレムに結集するユダヤ人キリスト教徒たちは、彼ら 異邦人キリスト教徒に対して、割礼や食事などのモーセの慣習の遵守を要求し、 割礼を受けなければ救済されないと主張し始めた。ここから彼らとパウロらとの 間で激しい対立と論争が起こってくる。
この間の事情は『使徒行伝』第15章で語 られているので有名であるが、こうしたユダヤ人たちとの緊張・対立関係が幼時 福音書の成立の背後に働いていた点を認識しておくことは、同書の歴史的性格や 図像学上の特徴を理解する上でもきわめて重要で、この点は後に詳述する。  
さて、物語は、当時5歳であったイエスが行う奇跡で幕が切って落とされる。
小川の浅瀬で遊んでいた幼児イエスはそこに池を造って水を溜め、一言命令を発 して水をきれいにする。次にそこから粘土を取ってこね、12羽の雀のフィギュア を造った。ところがその日が安息日であったため、一緒に遊んでいたユダヤの一 少年が「イエスが安息日を汚した」と父ヨセフに言い付ける。現場に急いで駆け つけたヨセフが「なぜ戒律を破ったのか」と詰問すると、イエスは両手をぽんと 叩いて「飛んでゆけ」と命令した。すると粘土の雀たちは生命を与えられ、鳴き ながら飛んでいった(第2章)。


その場には律法学者アンナスの息子もいた。彼 は手にした柳の枝でイエスが造った池を壊し、水を放出する。イエスはこれに怒 り、「おー、邪悪で、不信心で、愚かな者よ! 今にお前は木のように枯れ、葉も 根も実も付けないであろう」と呪った。すると少年は完全に干からびて死んだ。 子どもの両親は彼を持ち上げてヨセフところに運び、教育がなっていないと彼を 責める(第3章)。


 後日、イエスが村を通り抜けていると、一人の少年が走り寄ってきて(ギリシ ア語版Bは「石を投げて」と記す)、彼の肩にぶつかった。イエスが呪うと彼は たちまち倒れて死んだ。殺された少年の両親はヨセフにこう迫る。「こんな子を 持っているからには、あなたは村でわれわれと一緒に暮らすことはできない。そ れがいやなら、彼に(人を)感謝して呪わないように教えよ」と(第4章)。


ヨ セフはイエスを呼び寄せ、「なぜあんなことをするのか」と叱る。イエスはヨセ フに「あなたの口から出た言葉とは思えない」と述べて黙り込むが、抗議に来た 人々は罰を受けるべきだと主張し、彼らを盲目にする。
これを見たヨセフはイエ スの耳を引っ張って罰するけれども、逆にイエスは怒って父に言う。
「私があな
たの子であることが分からないのか。私を困らせてはいけない」と(第5章)。


 その場に居合わせた「ザアカイ」19)という名の学校教師は、子どもが親に横 柄な口の利き方をしているのを見てびっくりする。
数日後、彼はヨセフを訪ね、 次のように述べてイエスの教育担当を申し出る。「息子さんを私に預けなさい。 そうすれば彼に文字や知識、それに目上の人々に対する挨拶の仕方や年長者、父 親を尊敬する心を教えましょう」と。
この箇所は、ギリシア語版Bでは、まず ヨセフがイエスの手を引いて学校教師ザアカイを訪ね、「教師よ。この子を引き 受けて下さい。そして彼に文字を教えて下さい」と依頼し、それにザアカイが応 ずるものとなっている。
いずれにせよ、イエスは学校にあがる。
図2はその様子 を描いた15世紀の写本挿絵で20)、ヨセフもイエスも後光を付けている。イエスは 左手にホーンブックをもっており、筆記道具のスティルがその取っ手からぶら下 がっている。校舎は北イタリア風建築で、教室は手に負えない生徒たちで溢れか えっている。ホーンブックが床や校舎の外に捨てられている。
        
幼少年期イエスの教育について
 初学者教育の慣例に従って、ザアカイはイエスにアルファベットをその最初の 文字「アルファ」21)から教えようとした。しかし彼はすぐに挫折する。

「アルファ」 に続いて「ベータ」を発音するように言われたイエスは、「アルファの本質を知 らないあなたがどうして他人にベータを教えることができるのか。
偽善者よ。も し知っているのなら、まずアルファを教えよ。うすればそのときベータについ てもあなたを信じよう」と反論し、教師にアルファについていろいろと質問する。 ザアカイはこれに答えることができず、遂には立場が逆転して、イエスから最初 の文字の構成について教えられることになる(第6章)。
恥をかかされたザアカ イは居並ぶ人たちに向かってこう言う。
自分には彼の発する言葉の意味がまった く分からない。
この子は地上で生まれたのではない。
彼は火すらも制御できる。
世界が創造される前に彼は生まれたに違いない。
ヨセフよ、お願いだ。彼を家に 連れ帰ってくれ、と。こう嘆願したのち、ザアカイは最後にイエスについて、 「彼 は何か偉大な存在だ。
神か天使か、あるいは何と呼べばよいのか私には分からな いのだが」と語る(第7章)。ザアカイの告白はイエスを喜ばせる。
イエスは教 師に、「今度はあなたが学習して実を結ばせなさい。
心の中では見えなかったも のを見えるようにしなさい」と述べたのち、自分は天から遣わされた存在である と告げる。話が終わると、これまで彼の呪いで死んだ人々は全員回復し、誰もイ エスを怒らすことはしなくなった(第8章)。


 以後、イエスはその能力を人々のために使う。最初に、家の屋上で遊んでいる ときに落下して死んだ仲間を彼はすぐさま跳び降りて蘇生させた(第9章)。
次に、 木を割っている最中に斧で足を怪我した若者を治癒した(第10章)。
6歳になると、 母親に井戸から水を汲んでくるよう頼まれるが、途中で人とぶつかって水差しが 壊れたため、自分の衣服を脱いでこれに水を満たし、母のもとに運んだ(第11章)。

8歳になると、イエスが蒔いた一粒の種から奇跡的な収穫が得られたため、村の 貧しい人々を呼んで麦を分け与えた(第12章)。
また木材を切り間違ったために 注文の寝台を作れずに困っていた父親を、イエスは短い木片をつかんで引き伸ば し、寸法を合わせて助けた(第13章)。  
わが子が心身ともに活動的になってきたと見たヨセフは、イエスが文字を知ら ないままでいるのは良くないと考え、彼を別の学校教師(後の版ではレヴィLeviという名が付く)のところに連れて行った。
この二番目の教師もアルファの発音 から教育を始めたが、最初の教師の場合と同様、イエスは、「もしあなたが本当 に教師で文字について良く熟知しているのなら、アルファの力について話して下 さい。
そうすれば私もあなたにベータの力について話しましょう」と反論して、 「ベータを発音せよ」という教師の命令を拒否した。教師はこれに激怒して鞭打 とうと手を挙げたが、そのときイエスが呪ったため、鞭をもった教師の右手はす ぐに萎えていき、彼自身も気を失って倒れ落ちていく(図3 22))。
ヨセフはマリ アに、イエスを怒らせた者は死んでしまうので、彼を外に出さないように厳命す る(第14章)。
しばらくするとヨセフの親友である教師が訪れ、イエスを学校に 連れてくるよう促す。ヨセフは躊躇するが、この三番目の教師はイエスを連れて 帰る。
学校に入るや否や、イエスは書見台に置かれていた本を手に取り、「文字 は読まずに、口を開いて聖霊によって語りかけ」、周囲の人々に律法を教え始めた。
彼の話を聴いた人々は内容の豊かさと弁舌の巧さに驚いた。
教師の身に何か起こ りはしないかと心配して学校に駆けつけたヨセフに、教師はイエスには神の恵み と知恵が満ちあふれていることを告 げる。
イエスは、この教師は正しく 証言したとして、二番目の教師の治 癒を約束する(第15章)。  これから以後、イエスは次々と慈 愛的な奇跡を行っていく。まず、毒 蛇に噛まれた兄弟ヤコブを救う(第 16章)。次に、病気で死んだ近所の 赤ん坊や仕事中に屋根から落ちて死 んだ大工を蘇生させる。これらの出 来事を目撃した群衆たちは一様に、 「この子は神の使いだ」、「天から来 た者だ」と言ってイエスを礼拝した (第17・18章)。物語は、12歳のイエ スが神殿でユダヤの学者たちと討論 図3 イエスを殴った教師の死


幼少年期イエスの教育について
する話で終わる。ルカの福音書(2:46)ではイエスは彼らの話を聞いたり質問 したりするだけであったけれども、幼時福音書ではイエスはさらに「律法の主要 点や預言者たちの寓話」を説明し、「年長者や学者たちを沈黙させた」(第19章)。
ラテン語版  ティッシェンドルフがヴァチカン写本から編纂したラテン語版(全15章)は、 ギリシア語版Aと似ているけれども、その最初の3つの章はギリシア語版のい ずれにも存在しない23)。これら3章はエジプト滞在の聖家族を扱っており、聖家 族のエジプトへの避難を記したマタイの福音書(2:13-15)と、5歳のイエス から始まる『トマスの幼時福音書』とをつなぐために設けられたものであること が分かる。3章はそれぞれ独立したストーリーで、以下の内容から構成されてい る。

 ヘロデ王の追っ手から逃れてエジプトへ向かった聖家族は、同地に着くと、あ る寡婦の家に逗留する。1年が経過し、3歳になったイエスは友達と遊び始めた。

あるとき彼は塩漬けされた干物の魚を持ってきて盥に入れ、それに生命を吹き込 んで動き回らせた。続いて彼は魚から塩分を出させ、水中を泳がせた。
こうした 奇跡が寡婦に告げられると、彼女は大急ぎで聖家族を家から追い出した。
第2章 は、マリアとともにエジプトの市街を歩いていたイエスが、学校の壁に止まって いた12羽の雀が授業中の教師の膝に落ちたのを見て大笑いするところから始ま る24)。
自分が笑われたと思った教師は激怒して、生徒に命令してイエスを教場に 連れて来させ、そして彼の耳を掴んで「いったいなぜ笑ったのか」と問い質す。
イエスは手に付いた小麦を見せながら、雀に餌をやったが場所が街路中央で危険 なため、雀たちはそれを学校の壁の上に運んだ。
ところが今度は餌の奪い合いを したため壁から落ちてしまった。
こうイエスが事情を説明すると、学校教師はイ エスを母とともに町から追放した。
追放の理由は何も語られない。寓意に満ちた 話であるが、現時点では確証をもって説明できる段階にないため解釈は控えてお こう。第3章はナザレ帰還の話である。マタイの福音書(2:19-20)では、ヨ セフの夢枕に現れた主の天使のお告げで聖家族はナザレに帰ることになっている が、幼時福音書では天使が告げる相手はマリアで、彼女に導かれて一行はナザレにある彼女の父が所有する土地に帰ることになる。
ただ、ヘロデ王の死後のエル サレムが落ち着きを取り戻すまで、ヨセフの判断でイエスは砂漠にとどまった。 「ヨセフは知性を与えてくれた神に感謝した」。
『偽マタイの福音書』  ラテン語によるイエスの幼時物語は、8世紀ないしは9世紀に編集された全42 章の『偽マタイの福音書』(The Gospel of Pseudo-Matthew)でも読まれた。オ リジナル・タイトルは『マリアの誕生と救世主の幼年時代の物語』(Historia de Nativitate Mariae et de Infantia Salvatoris)で、現存するもっとも初期の写本は11 世紀の作品。「偽マタイの福音書」という名称は、ティッシェンドルフがこの作 品を編集した1853年に始まるが、彼が作者を「偽マタイ」と命名したのは、本書 の冒頭に、この作品が「聖なる使徒マタイによってヘブライ語で書かれ、聖なる 長老ヒエロニムスによってラテン語に翻訳された」、とする説明文があったから であった。  本書には、序として、教父ヒエロニムス(Hieronymus, c. 340-c. 420)と司教 たち(CromatiusとHeliodorus)との間で交わされた書簡が掲載されている(も ちろんフィクション)。そしてその中で、一方の司教たちには、福音書記者であ る聖マタイが書いたヘブライ語の作品が教皇によって新たに発見された旨を報告 させ、他方のヒエロニムスには、マタイは出版目的で書かなかったために、それ は代々「きわめて宗教的な人物」に内々に伝えられてきたと語らせて、本作品が すでに出回っている既存の聖母の誕生物語やイエスの幼時物語とは本質的に異な るものであることを示唆する。かつて幼時福音書を非難するよう教皇たちに働き かけたヒエロニムスの名が、本書に権威と信頼性を与えるために持ち出されてき たのは、まさに「奇妙な皮肉」25)としか言いようがないけれども、この福音書 が、マリアの生涯を記した2世紀の外典『ヤコブの原福音書』(Protevangelium of James)と『トマスの幼時福音書』との合作作品であることは、以下に見る作 品の章構成からも明らかであろう。  『偽マタイの福音書』(全42章)は、第1章~第17章までが『ヤコブの原福音書』 に、また第26章~第34章、第37章~第39章、それに第41章が『トマスの幼時福音 
幼少年期イエスの教育について
書』に基づいている。内容的には、
『ヤコブの原福音書』の第18章(イエスの誕 生で時間が止まった状況を記したヨセフの観察)、
第22章(ヘロデ王の追っ手か ら逃れるために息子ヨハネを連れて山に登ったエリザベスが体力も尽きたため神 に祈ったところ、山が二つに裂けて母子を隠し、天使が守ってくれたという話)、
第23・24章(エルサレムの神殿で祭司ザカリアがヘロデ王の遣いの者に殺される 話)、それに最終の第25章が削除されている。その削除された箇所に聖家族のエ ジプトへの避難物語を挿入して、第18章から幼児イエスの奇跡を語り始める。そ の奇跡談は新たに創作されたものが多いが、いずれも中世では馴染み深いものに なっていく。
 たとえば、幼子イエスが砂漠の洞窟にいた多くの竜を鎮め(第18章)、
ライオ ンやヒョウがイエスを崇拝し、頭を下げて道案内をした話(第19章)。
また空腹 のマリアにヨセフが棕櫚の木の実をとってやろうとするが、高すぎて摘み取れな い。そこでイエスが曲がるように命令すると、棕櫚の木がその梢を足元まで下げ てくれたため、聖家族が喉の渇きと空腹を満たしたという話(第20章)。
そして その木を祝福して、イエスが翌日天使に枝を天国に運ばせたという話(第21章) が続く。
一行は旅を続け、やがてエジプトに到着する。休息を得ようとカピトル 神殿に入ると、355体もの異教徒の神々がすべて真っ逆さまに倒れた(第22章~ 第23章)。
それを聞きつけた当地の支配者アフロドシウスは軍隊を伴って神殿に 入るが、神々の顔がことごとく砕け散っているのを見て、イエスを抱くマリアの 前にひれ伏し礼拝する(第24章)。なお、同作品はその最終の第42章を聖親族の 宴会にあて、ヨセフの4人の息子たち(ヤコブ、ヨセフ、ユダ、シメオン)と2 人の娘たち、それにマリアの妹であるクレオパのマリアも出席して、イエスから 祝福を受けたこと、そして兄弟たちもイエスを見守り、彼を畏怖したことを記し て物語の幕を閉じている。  上述の内容分析からも分かるように、『ヤコブの原福音書』と『トマスの幼時 福音書』の合作と言っても、『偽マタイの福音書』は二作品を単に貼り合わせた だけの作品ではない。
編集者はストーリーとしての一貫性をもたせるために空白 部を埋めたり、既存のものにあれこれ手を加えたりしている。言うなればそれは、 装いを新たにしたイエスの幼時物語の再デビュー作品なのである。これによって


『偽マタイの福音書』は従来とは異なる性格をイエスの幼時物語に付与し、次の 時代を切り開いていくことになる。
この点は後述するとして、ここではそうした 変化をもたらすことになった合作という作業がなぜ必要とされたのか、言い換え れば、本来個別に成立・発展し、単独でも読まれてきたマリアの誕生物語とイエ スの幼時物語が、なぜこの時期にひとつにまとめられたのか、という問題につい ては触れておかなければならないだろう。  これに関しては、J. K. エリオットは、マリア崇敬を促進したいという気持ち が二つの作品を結びつけたと推測している26)。他方、オスカー・クールマンは、 『偽 マタイの福音書』の誕生の背後に働いていたのは、増大し続ける幼時福音書の人 気に押されて、それを力で押さえ込むことができないとすれば、作品に含まれて いる残酷でセンセーショナルな内容をいくらかでも洗練された形式に改めること が必要だとする認識の高まりであったと考えている27)。それぞれに一理あるが、 作品の冒頭部に挿入された往復書簡に関する以下の分析から、筆者としてはクー ルマンの説を支持したい。  二人の司教がヒエロニムスにラテン語訳を依頼したのは、純粋にキリスト教的 な思いからであった。彼らは、現在読まれているマリアとイエスの外典作品にキ リスト教に反する内容が多く含まれており、そのために信者たちが「アンチキリ スト」の手に落ちてしまうのではないかと危惧していた。彼らの見立てによれば、 本来優れた出生と成長の記録であったはずの作品がこうした危険性を孕むように なったのは、ひとえに「異端者たち」が「悪い教義」を教えようとする気持ちか ら自分たちの出生をない交ぜにしたからであった。こうした事態を排除するため にも、今般見つかったヘブライ語作品の翻訳は、『ウルガータ』聖書の翻訳者と して名高いヒエロニムスにぜひ頼みたい、というのが司教たちの願いであった。 こうした彼らの心情を汲み取ってヒエロニムスも以下のように応じているが、そ れはまさに『偽マタイの福音書』編纂者の自己の仕事に対する自負と作品の正当 化の弁そのものであった。ヒエロニムス(=編纂者)は言う。   「われわれはこの小著を正典には入れませんが、使徒で福音書記者である人 によって書かれたものを翻訳すれば、異端の誤りは暴露することができるで しょう。……救世主の聖なる幼年時代について知識を得られた人々は、必ず
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幼少年期イエスの教育について
やわれわれを援助して下さると信じておりますので、われわれが実践してい るのは、キリストの愛なのです。」  この作品が後世に与えた影響は計り知れないものがある。現在確認されている 写本は180点以上にのぼる28)。『ヤコブの原福音書』(原著はギリシア語)のラテ ン語版が現存しないのは、その内容が『偽マタイの福音書』ですでに見られたか らだとする推測が成り立つのも、無理からぬところであろう。さらに特筆すべき は、そこで形成された聖家族や幼児イエスのイメージが写本から飛び出して一般 のキリスト教信者にも幅広く訴えられ―たとえば、12世紀前半のツィリス(スイ ス)のサン・マルティン教会(St Martin's Church in Zillis)の天井装飾画、1327 -35年制作の全編カラーイラストの『ホルカム聖書』29)、それにイングランドの ヘルトフォードシャーにある聖ペテロと聖パウロの教会の壁に取り付けられた 1320-30年制作のトリング・タイル30)ほか―、イエスの生涯の重要な一コマとし て定着した点である。中世末期およびルネサンス期の写本作家や画家たちは「エ ジプトへの避難途上の休息」を好んで主題にしたが、地面に坐って安らぐ聖母子 の背後には、ローマ兵が聖家族を追うのを諦めたという小麦畑(種蒔き)の奇跡 や、ヨセフが曲がった棕櫚の木から実を取っている場面―コレッジオ(Correggio, 1489-1534)の「スープ皿の聖母」(1525-30)が有名―、それにエジプトの神々 の像が二つに折れて真っ逆さまに倒れている場面がしばしば描き込まれていた。
アラビア語版  最後になったが、『トマスの幼時福音書』のもうひとつ別のコレクションであ るアラビア語版についても触れておこう。この作品は6世紀のシリア語版から派 生し、ポスト・イスラム時代(7世紀)にアラビア語に翻訳されたと考えられて いる。イエスの誕生から12歳までの出来事を全53章で構成した比較的大部の作品 であるが、中核となっているのは幼児イエスにまつわる奇跡で、とくに第11章~ 第35章は、悪魔に取り憑かれて目が見なくなったり口が利けなくなったりした子 ども、女性、新婚の夫婦たち、それにハンセン病などの難病で苦しんでいる人々 が、イエスの身体や彼の衣類を洗った水を振りかけられた結果治癒されたという 話で埋め尽くされている。これら慈愛的な奇跡の大半はエジプト滞在中の出来事
で、イエス本人の行為というよりもむしろ、マリアのとりなしによるものとして 描かれている。またこれと同じコンテクストにおいて、共観福音書(マタイ10: 1 - 4; マルコ3:13-19;ルカ6:12-16)で名前が挙げられた十二使徒の幾人か が奇跡的に救われたエピソードも語られている。たとえば、病気でほとんど死に かけていたけれども、イエスのベッドに寝かせられ、彼の匂いをかいだ途端に生 き返ったバルトロマイ(第30章)、悪魔に取り憑かれて近づく者すべてに噛みつ いていたが、イエスに触れたことで悪魔が犬の姿で出ていき、救い出されたイス カリオテのユダ(第35章)、毒蛇に噛まれたが、イエスが毒を吸い出してくれた 結果助かった「カナナイ人シモン」 (第42章)―マルコ(3:18) 、ルカ(6:15) では「熱心党のシモン」―といった具合である。  イエスの公的生活との関連で興味深いのは、後にゴルゴタの丘でイエスと一緒 に十字架にかけられた二人の盗賊の話(第23章)であろう。エジプトへの避難途 上にあった聖家族は、盗賊が横行するという砂漠にやって来た。ヨセフとマリア は人目の付かぬ夜にこっそり横断しようとするが、ティトゥスTitusとドゥマカ スDumachusという名の二人の賊に捕まってしまう。行く手には彼らの仲間が 大勢寝ている。ティトゥスは一行をこのまま通してあげようと提案するが、ドゥ マカスは反対する。そこでティトゥスは彼に銀貨(担保として)と自分のベルト(口 止め料として)をあげて、聖家族が無事に通過するのを助けた。この善き盗賊に マリアは感謝して、主なる神はお前の罪を赦して下さるだろうと述べ、イエスは マリアに、「30年後に自分はエルサレムで十字架にかけられるだろうが、彼ら二 人の盗賊も私と並んで十字架にかけられるだろう。そしてその日の後、ティトゥ スは天国で私の前に来るだろう」と予言する。言うまでもなく、この話はルカの 記述(ルカ23:39-43)を基に創作されたものである。  二人の盗賊の話もそうだが、現存するギリシア語版やラテン語版、それに『偽 マタイの福音書』には見出されないのに、中世ヨーロッパでひろく知られるよう になったイエスの奇跡の多くは、アラビア語版に由来している。これは幼時福音 書が相互に影響しあっていたことを示唆するものだが、そうして他の地域に移入 されると、物語がその性格を変えてしまうこともたびたび起こってくる。そうし た事例を以下2点紹介しておこう。
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幼少年期イエスの教育について
 ひとつは、染物屋での奇跡(第37章)。染料が異なる桶それぞれに衣類を入れ て染めなければならなかったのに、イエスは衣類すべてを藍色専用の桶に入れ てしまった。
これを見た親方サーレムは、「おー、マリアの子よ、何ということ をしてくれたのだ。これで俺の評判もがた落ちだ」と怒るが、イエスが桶から衣 服を取り出すと、衣服は親方が願っていた色に染め上がっていた。
アラビア語版 はこの話を、少年たちと走り回って遊んでいた7歳のイエスが、通りかかったつ いでに行った奇跡として描いていたけれども、オックスフォード大学ボドリア ン図書館に所蔵されている14世紀の写本(MS. Selden Supra 38, Bodleian Library, Oxford)は、染物屋の「徒弟」となったイエスのエピソードとして扱い、しか もイエスが徒弟に出されたのは、彼を「悪戯から遠ざけておくため」であり、ま たイエスが衣類をまとめて桶に入れたのは、「遊びに出かけるため」であったと 説明している31)。
 もうひとつは、オーブンの子どもたちの話(第40章)。
町に出たイエスは一緒 に遊ぼうと思って少年たちに近づいていった。ところがユダヤの少年たちはイエ スを避け、親たちも彼らをオーブンの中に隠す。後から来たイエスが「みんなは どこに行ったの?」と尋ねると、親たちは「ここには誰もいない」と答えた。再 び「オーブンの中には何が入っているの?」と聞いたところ、「子ヤギだ」とい う答え。そこでイエスが、「子ヤギたちよ、出てきなさい。あなた方の羊飼いに」 と言うと、ヤギの姿をした少年たちが出てきて、イエスの回りで戯れ始めた。こ れを見た親たちは恐れおののき、崇敬しながらイエスに慈悲を乞い、子どもたち を元の姿に返してもらう。アラビア語版はこのエピソードを、イエスが「善き羊 飼い」であること、また全知全能の存在者である彼から隠し通せるものは何ひと つないことを証明するものとして位置づけている。子どもたちがイエスと接触す るのを親たちはなぜ嫌がるのか、その理由はどこにも書かれていない。だがこの エピソードは、西ヨーロッパとくにイングランドに渡るや否や、反ユダヤ主義の ストーリーに変貌する。14世紀前半の『ホルカム聖書』からとられた図4 32)は、 上述の出来事を三場面の流れで図解しているが、そこからもはっきりと見て取れ るように、「子ヤギ」は「豚」という典型的な反ユダヤ主義のシンボルに改変さ れている。
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 なぜ「子ヤギ」は「豚」に変えられたのだろうか。中世におけるユダヤ人迫害 の歴史を紐解けば、その理由は簡単に見えてくる。1144年にイギリス東部の町ノ リッジで発生したいわゆる「儀式殺人」――キリスト教徒の血を過越しの儀式に 用いるために、ユダヤ人が無垢の子どもを誘拐し殺害したという噂を基に起こっ た事件――を契機に、イングランドではユダヤ人に対する嫌悪・反感が増大し、 1217年にはユダヤ人は全員胸に「黄色いバッジ」を付けることが義務づけられ、 そして1290年には国王エドワード1世から国外追放の命令を受ける。中傷の波は 大陸にも伝播し、ドイツやフランスでも相次いでユダヤ人迫害の事件が起こった。 中世ヨーロッパのこうした反ユダヤ主義の流れのなかでイエスの幼時物語も読ま れ、幼時福音書は“ユダヤ人は嘘つきである”とするユダヤ人非難キャンペーン の一環を担うことになる。  以上、幼時福音書の代表的作品とその歴史的・地域的特性について述べてきた。 そこで次に、ギリシア語版を定本として、イエスの幼時物語が構造上において有 している特徴は何であり、それが中世社会でどのような機能を果たしていたのか を明らかにしていきたい。
図4 豚に変えられたユダヤの子どもたち         (『ホルカム聖書』1327-1335年:大英図書館蔵)
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幼少年期イエスの教育について
Ⅲ.幼時福音書の構造分析  すでに述べたように、従来の研究者たちの最大の関心事は、幼時福音書とグ ノーシス主義との関わりであった。『トマスの幼時福音書』はグノーシス派の人 物によって書かれ、初期の原本にはその思想が色濃く反映されていた、とする前 提から接近していった研究では、幼時福音書は全知全能であるイエスが究極的存 在であることを奇跡を通して証明した作品であるかのように見られてきた。また グノーシス主義との関わりを否定する研究者も、どちらかといえば、幼児イエス が起こす奇跡に軸足を置いて、幼時福音書を読みかつ評価する傾向があった。た とえば、わが国の翻訳者でもある八木氏も、本書は「ほとんど奇跡物語集と呼ば れてしかるべきもの」33)と定義され、こう主張される。   「幼時の奇跡的性格が強調されるのは、単なる聖者伝説の形成ということだ けではなく、後に発揮されたイエスの異常な能力が、後天的に修練や学習に よって展開したものではなく、全く生まれつきの賜物であったことを示すた めと考えられる。それははじめからあったものだ、習得されたものではなく、 いわんや架空のものではない、と言いたいのであろう。」34) 幼時福音書を奇跡集として見るこうした認識ゆえに、氏は、その改訂訳が荒井献 編『新約聖書外典』 (1997年)に所収される際、学校教師ザアカイの告白を記し た第7章とユダヤの学者たちとの討論を扱った第19章を、前者は直接イエスを 語っていないという理由で、また後者はルカの福音書と内容的に一致するという 理由で省略された。  ここに興味ある数字がある。公刊未刊を問わず、現存する14冊すべてのギリシ ア語写本を精査したトニー・バークによれば、全19章から成る『トマスの幼時福 音書』は11世紀から12世紀にかけてその形式を完成させたが、初期の写本には書 き出しの第1章と斧で怪我をした若者の治癒を扱った第10章、それに子どもと大 工の蘇生を記した第17・18章は含まれていなかった35)。つまり、原型となる幼時 福音書14章のうち6章が学校教師のエピソードで構成され、イエスの教育に関す る比重が高い。またラテン語版(全15章)はイエスと学校教師の話に4章を充て ているが、その4つで分量的には全体の5割以上を占めている。これらの事実が 示唆するものは何か。それは、一言で言えば、イエスと学校教師の対立が幼時福
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音書の主要かつ重要なモチーフであったということである。実際、そのテーマを 集中的に扱った第6章と第14章は、物語の展開上きわめて重要なターニング・ポ イントを成している。  また、これと関連して留意しておかねばならないのは、幼時物語で語られる奇 跡は決してランダムに配置されているのではないという点である。奇跡は、大別 すれば、三つのグループに集約される。
(1)学校に連れて行かれる以前の幼子 イエスの奇跡(第1章~第5章)、
(2)最初の学校教師ザアカイとの対決で少年 イエスが勝利し、「偉大な存在」と認められた後の奇跡(第9章~第13章)、
(3) 二番目と三番目の教師との出会い・対決を通して、イエスが「神の子」として正 式に承認された後に行われた奇跡(第16章~第18章)である。
グループ内では各 奇跡は一定程度の同質性を有しているけれども、各グループ間では性格は微妙に 異なっている。これら三グループの奇跡を分かつところにイエスと学校教師の話 が置かれ、それが物語の次の展開を紡いでいる。幼時福音書の最終の第19章が12 歳のイエスがユダヤ人の学者たちと議論する話で終わっているのも、それも単な るディスカションではなく論破した、つまり、「年長者や学者たちを沈黙させた」 話で締めくくられているのも、それがイエスの成長の到達点であると同時に以後 の公的生活のスタート点にあるからであった。  イエスの奇跡→学校教師との対決→新たな局面の展開、という幼時物語のこの 構造上の特徴は、ラテン語版のみに掲載されている冒頭の3つの章でも同様に確 認できる。つまり、聖家族がエジプトの町から追放されるきっかけとなった第2 章のイエスと学校教師の話は、第3章のエジプト出国のプロローグであり、ナザ レへの帰還が単にヘロデ王の死という外的要因によって決まったのではなく、内 在的にもそうする必要・必然性があったことを暗示している点で、重要な意味を 持ってくるのである。  要約しておこう。幼時福音書は、奇跡の単なる寄せ集めではなく、イエスと学 校教師との対立をモチーフとして構成された物語で、これはすべての幼時物語に 通底している基本テーマでもあった。この点を念頭に置いて、改めて『トマスの 幼時福音書』を再構成するといかなる理解が得られるのか、以下見ておこう。  5歳までのイエスは、もって生まれたその超自然的な力を自分のためにのみ使
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用していたに過ぎなかった。手造りの池を壊した子どもや肩にぶつかってきた少 年をいとも簡単に呪い殺してしまうイエスは、大人たちから見れば、著しく大き な問題を抱えた悪童であり、トラブルメーカーであり、非行少年であった。また、 子どもを訓練して社会化することが家父長の任務とされていた当時の社会にあっ ては、そうした子を持ちながら何ひとつコントロールできないでいる父ヨセフは、 いわゆる“ダメ親父”であった。子どもを殺されたユダヤの親たちが怒りをヨセ フにぶつけ、イエスをしっかりと規律づけよ、それができなければ村から出て行 け、と脅したのも当然と言えば当然であったろう。ヨセフも一応息子を呼んで注 意したり叱ったりするが、不首尾に終わる。訴えられた悪童イエスは、何とこと もあろうに逆恨みし、抗議に来た村の住人たちを盲目にして意趣返しをするので ある。この行動にはさすがのヨセフも我慢できずイエスに体罰を加えるが、息子 はこの行為を「浅はかなunwisely」行動だとさげすみ、一向に意に介さない。学 校教師ザアカイが登場するのは、まさにこの時であった。  ヨセフが年老いていて、イエスとの年齢差があまりにも大きかったことも、家 庭での躾や教育が失敗した原因のひとつだったかもしれない。だが本質的には、 父親が息子を自分の手には負えない存在だと考えていたことに最大の原因があっ た。ザアカイはそこに付け入り、ヨセフに「父親代わり」を申し出るのである。 息子を預けてくれるなら、アルファベットや学問を教授し、かつ年長者を敬った り相手を気遣ったりする心、それに彼が社会で生きていく上で必要なマナーや ルールを教えてあげようというのだ。息子の扱いに希望が持てないでいたヨセフ はこの提案に乗り、自らイエスの手を引いて学校へ連れて行く。  
イエスの教育の目的は、彼を規律づけて反抗的な態度や破壊的な行動を取らな いようにすること、言い換えれば、社会的に醇化することであった。学校での教 育はアルファベットを教えることから始まったが、生徒イエスはすぐにそれに噛 みついて、アルファの本質を知らない者がどうしてそれを教えることができるの かと問い質し、最終的には教師の教える意図と行為を否定して彼を打ち負かす(第 6章)。負けたザアカイは恥をかかされたことを怨みながらも、公衆の面前でイ エスが「偉大な存在」であることを認める(第7章)。これを受けてイエスが語 る言葉(第8章)によって、幼時物語は次の新たな段階を迎えることになる。つ
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まり、その存在が公的に認められたイエスは、ここではじめて自分が神の子であ ることを告白して、この世の人々のために役立とうとするのである。  次に転機が訪れるのも、やはり学校教師との関係においてであった。二番目の 教師もアルファベットを教えることから始めたことで、最初の教師と同じ運命を たどる(第14章)。ところが三番目の教師は、教える意図は一切示さず、また教 えることは何もせず、イエスが聖霊によって人々に語りかけ、律法を教えるのを じっと見守るのである。そして、彼の身を案じて学校に急行したヨセフに、イエ スが「神の恵みと知恵に満ちた」存在であることを認めて、ルカの福音書(2: 40)の言葉を裏付ける(第15章)。これ以後、イエスはその力をより高次のレベ ルで発揮して、「神ないし神の使い」(第17章)であることを証明していく。最初 の転機のときには比較的身近な人々―遊び仲間、年齢が接近している若者、母親 や父親、それに村の住人―のために力を使うだけであったが、今や彼は救世主イ エス・キリストとして、人類の救済のためにその力を振り向けていく。幼時福音 書のイエスは、学校教師との対決を媒介にして成長し、神の子としての本質を実 現していくのである36)。
エピローグ  本論文は、『トマスの幼時福音書』の内容分析と構造分析を基にイエスの幼時 物語の特質を把握し、イエスと学校教師との対立がそのメイン・モチーフであっ たことを明らかにしてきた。こうした読解は従来ほとんどなされてこなかったよ うに思われるが、これで問題が解決したわけではない。幼時福音書は悪童イエス を醇化するという役割を学校教育に担わせながらも、その試みはイエスの抵抗で 失敗したとしている。このセッティングは何を表しているのであろうか。この問 いは、幼時物語の主舞台となったユダヤ人社会のなかでの学校教育の機能や、中 世社会における親子関係や子ども観の歴史についてさらなる問いを導いてくるけ れども、ここではこれまでの幼時福音書の分析から明らかになった二点、すなわ ち、反ユダヤ主義と教育者としての母親の台頭を手がかりに考察を進めたい。  近年の研究は、母国語で書かれた14世紀の作品群に、時代を反映した反ユダ ヤ主義が色濃く表れていることを強調しているが37)、その傾向は、翻って考える
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に、学校教師による教育をイエスに全面的に拒絶させるという、幼時物語の筋立 てそれ自体にすでに内包されていたのではないだろうか。良く知られているよう に、ユダヤ人社会は紀元70年に後の皇帝ティトゥス率いるローマ軍によって滅ぼ されるけれども(ヨセフスの『ユダヤ戦記』参照)、ユダヤ人たちはいち早く学 校を通過儀礼の場として確立することを通して民族としてのアイデンティティを 確保していった。イワン・マーカスの『子ども時代の儀式―中世ヨーロッパにお けるユダヤ人の文化変容』(1996年)によれば38)、ユダヤの学校教師たちは、ま ず、22文字の子音文字から成るヘブライ語のアルファベットを教師の前で順に復 誦させ、次に、全律法を要約したものとみなされた『申命記』第33章4節の章句 ――「モーセはわれわれに律法(トーラー)を授けて、ヤコブの会衆の所有とさ せた。」――を学ばせ、そして最後に、書き板に刻まれた『レビ記』の最初の詩 句を教えていった。マーカスは、上記三つが「古代世界の子どもたちの基礎教育 から引き出してきた中世の儀式の全要素」であったと言う39)。これに基づけば、 教師ザアカイが「アルファ」(ヘブライ語のアレフ)の復誦を執拗にイエスに求 めたのは、彼に文字や学問を教えるということよりも(もちろんその目的もあっ たろうが)、むしろユダヤの儀式に導き入れて、イエスをユダヤ人化するための 方法の一環であったと理解できよう。だとするならば、少年イエスの学校教師に 対するいささか異常な振る舞いや教育拒否の立場は、彼が悪童であったからでも、 また神童であったからでもなく、幼時福音書自体がユダヤ人社会の支配的な価値 体系に対する反逆の書としてあったことを裏付けるものではないだろうか。そう 解釈してもあながち間違っていないようにも思われる。  幼時福音書の反ユダヤ主義は、「子ヤギ」が「豚」に変換されたところに端的 に見られたけれども、総じて言えば、ユダヤ教に対するキリスト教の優位ないし 勝利を謳っている点にその特徴がある。『偽マタイの福音書』の以下のエピソー ドはこれを如実に示していよう。たとえば、教師ザアカイの教育の申し出に対し てイエスが、「わたしは律法より前に存在していた」、「わたしはあなた方が父と 呼ぶアブラハムを見てきたし、また彼と話をしたこともある」と述べてキリスト の先在を主張し、ユダヤ人教師から教育される必要がないことを訴えた第30章、 三番目の教師に導かれて学校に入るや否や、ユダヤの律法を教えていた教師の手
から書物を取り上げ、本に書かれている文字は読まずに「生きた神」の偉大な事 蹟を教え、結果として学校教師を地面に伏せさせた第39章、
さらにカペナウムの 金持ちの話で彼を治癒したのがイエスでありキリストであったことを再三繰り返 して、「イエスがキリストである」という命題を披瀝した第40章。
 学校教師によるユダ人化教育の拒否は、必然的に家庭での教育に向かわざるを 得ないけれども、ここで親子関係と教育座標軸に重大な変更がもたらされてくる。 これは、『トマスの幼時福音書』では登場機会もまれで(ギリシア語版Aでは第 11、14、19章のみ)、最終章でやっと名前が出てくるにすぎない、きわめて控え 目な存在でしかなかった母マリアが、後の『偽マタイの福音書』では終始一貫して 主役を演じ、イエスの教育に積極的に参画していく過程からも窺い知ることができ る。  すでに見てきたように、幼時福音書では、イエスが問題行動を起こしたとき、 その責任が問われたのは父のヨセフであった。父子関係が伝統的に親子関係の基 本であった。ところが『偽マタイの福音書』ではこの関係が崩れ、大人たちはヨ セフとマリアの双方に対して抗議し、親としての連帯責任を求めた。イエスの手 を引くマリアがヨセフに先導されて学校の入り口に現れてくるのは、このときで ある(第31章と第38章を参照)。だが、この光景もやがて母と子の姿しか描かな い入学図へと変化していく。親子関係の基軸は父子関係から母子関係へと移行し、 子どもの教育イニシアティブも父親から母親へと変わる。この変化は、イエスの 問題行動に対してヨセフとマリアがとった対応の違いにも明確に読み取ることが できる。  ユダヤの年長者たちと同様、ヨセフもイエスには規律が欠けていると考えてい た。だから彼はユダヤ人たちの怒りや圧力を当然のこととみなし、死んだ子ども の両親が抗議に来たときも、彼らの異議申し立てをそのまま受け容れた。しかし ながら、彼はイエスへの説諭・訓戒を自らは行わず、母マリアに全面的に託して しまう。父親の威厳はそこにはまったく見られない。イエスの行動を制御する方 法として彼に残されていたのは、物理的な手段だけであった。これに対しマリア は、わが子が自分を愛していること――家に帰るとイエスは真っ先に母の元に向 かった――を知っていたので、説得するに当たっては優しい言葉をかけることで
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影響力を行使できた。イエスもまた「母親を悲しませたくなかったので」、彼自 身は殺した少年を生き返らせたくはなかったけれども、母の願いを聞き入れて蘇 生させた(第26章)。教師が殺されたときも同様である。イエスを怒らせると人 がまた死ぬと考えたヨセフは、イエスを家から一歩も外に出すなとマリアに命じ たが、この命令に対してマリアは、イエスが神の子であり、したがって神が彼を 保護してくれると信じていたので、「何てことを仰るのですか。そんなことが起 こるなどと考えてはいけません。わが子を信じるのです」と逆に夫を諭す(第38 章)。  イエスの幼時物語の世界においては、以上見てきたように、躾や教育を契機と して親子関係や教育関係は変化し、また時代の経過とともに養育や教育に占める 母マリアの比重は高まっていく。本稿の冒頭で紹介した1508年のカレンダーの図 像は、中世を通して進行したかかる変化のひとつの到達点であったと思われる。


イエス様は再臨主であり 普通の方とは違います。
 しかし 韓鶴子や ヒトラー 毛沢東 スターリンなど 似通っている部分もあるかもしれません。
 良いように転べば 大善人であり 悪く転べば大悪人虐殺者です。


  

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韓鶴子の呪い 怨み 嫉妬!!!!

亨進様は 仏教にのめりこんだ!!!! アボジは 原理が1番だと認識し ある程度まで亨進様が探求すれば

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 お父様の価値観と韓鶴子の価値観はまったく違う!!!

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多種多様な考えはありますが 皆兄弟姉妹です。

シャボン玉さんや バンブーさんを考えの違いから攻撃したことがありますが ハリーさんも含めて寂しい限りです。

メンバーは 統一教会の考えを棄てて使い捨ての伝統を棄てましょう

そうかんじませんか???榎さん!!!!