morison30000のブログ

新しい時代が到来しました。
2012年から 世界は大きく変わり始めました。
大いなる主体が地上を去り
永遠の対象であったものが 邪な誘惑に負け 偽の主体に立つことにより 韓国はもうすぐ消滅します。
カゴメ カゴメ 後ろの正面はだれなのでしょう!!!!
 

大分県人の使命と大分県人の罪

1990年代 お父様から 私たち大分県人に与えられた御言葉は
大分は(だいぶんべつ)の土地であるということだった。
私は 大分県人がバロメーターで 判断を誤れば 摂理が送れるか災難が起こると認識している。
阪神大震災当時 村山首相は大分県人だった!!!


しかし 結論から言えば 大分は山口と結託した時点で 失敗したと言える
明治維新の時代 福沢諭吉が 脱亜論を出された。

福沢諭吉「脱亜論」読み上げてみました。

第8週1話脱亜論〜福沢諭吉が朝鮮人を見捨てたワケ【CGS倉山満】
今 大きな組織につながっていなくても 目まぐるしく内的成長を遂げている方たちがいる そうかと思えば 別府温泉につかるカピバラの様にゆったりのんびり大満足
山地獄(動物園)のような方がほとんどである!!!
以前岡山のお兄さんも 自分を誇るために デモやってます!!!と電話をお下さった!!!
サンクチュアリー発足時 鹿児島の大宮司さん渡部姉1800など 熊本に行かれたとお聞きした しかし 安永井上教会長は強烈であるため 彼らはそそくさと退散
それを周りに広め 自立よりも 江利川会長に完全お輿入れをする道を選択した
もともと 熊本バンドは 米国人教師L.L.ジェーンズ先生の下
聖霊に満たされた熊本の侍たちは 徹底的に 英語で 聖書を学び 会話し
生ぬるくない 攻撃的な伝道基盤を繰り広げていかれたわけですが

どう転んだのかわかりませんが 徹底的な 熊本安永の性格から
同支社の新島譲や八重と ぶつかり 学内で伝道するな!!!とか 生ぬるい新島のやり方とたびたび衝突したことでしょう。
ですので熊本聖殿と衝突してよいのです、生ぬるい九州の死にかけの聖殿代表たちはどうしようと話し合うべきだったのです。
しかし ネームバリューに負けたわけです。
 安永 熊本聖殿とはとっつきにくいのですが
大分は 大分 鹿児島は鹿児島で関係性をもって自立すればよかったわけですが
上野婦人 によぎったものはルーシェルから受け継ぐ 恐怖と不安であり 亨進二代王がおられるのに
いままで安心し頼ってきた組織が腐ったという事実から逃げ出すための偶像 大東京日本サンクチュアリーであり 元天地聖教幹部 阿南夫妻に頼ったわけです。
モーセの時代 モーセが石板をもらうため シナイ山に上っている間に
ユダヤ人たちは アロンとミリアムを誘導し 金の子牛を作り
これが神様だ!!!!----と信仰を始めたことと同じであり
 夫に相談するべきで 金の狸を立てることは堕落したことと同じであったわけです。
もし 夫が 組織に 権力にすがろうと話したならば 今までの阿南夫妻の夫婦関係が
堕落エバと堕落息子であったわけでしょう!!!
何かに頼りたい すがりたいという思いは どこから生まれてきたのでしょうか??
エバが誘惑にまけ アダムを堕落させ エバの思いは 形なきルーシェルではなく
神の形そのもののアダムであり エバはすがる思いで 夫としてではなく 偶像としての神の肉体 アダムを引きずり込んだわけです。
ですので 神様を求める すがりたい 対象物として 目の前の金の子牛 金の狸
それを神様にしてしまうわけです。
兄弟 先駆けた方として 井上教会長と関係を深めれば良いのに
組織 偶像崇拝者は 目の前の神様よりも どれが本物か??? どれが得か損かを判断しようとします。
彼らが選んだ道は 嘘っぱち慰安婦キョンベイシスターズ会員ナンバー1番 スーパーアイドルやすえちゃんだったわけです。
 さらに つまずけば 山口顕ちゃんを通して 自立ではない 韓国奴隷路程を選んだわけです。
榎さんも大分県人として 恐怖と不安故 サイバー路線ではなく 損して得取れではなく
偶像を選ぶ道を選択したわけです。
ワコムの 江藤さん 原理講師の倉原先生 郭ジョンファン派 本山兄
もともと 阿部婦人が日本にいる頃 古田社長以下久居やもろもろの方は暴走できずにいた しかし 世界日報事件以降 阿部家はイギリスに 古田のお目付けは 江藤社長となったが ワコムで忙しく ある意味彼も世俗化し 最後の日本の砦 も崩壊した
その原因も 江藤社長大分県人であり そのことにより 日本は 守る壁もなくなり
金ヒョウナムと韓国人牧会者 はげソン 劉正玉の収奪牧場になった!!!
これは最後の砦 江藤社長がだいぶんべつできなかった サタン分立ができなかったわけです。
キーポイントは 大分県人であり 鹿児島県人であり 熊本県人 佐賀県人であるわけで
私はどう見ても 選択のミスにより 鹿児島 大分が崩れたことで
九州が一体化して 神様の御言葉を 九州全体を復帰する道は途切れたかな???とも感じます。
 目先のアベルで コケタ 上野婦人 寂しい限りです。



上野涼子代表あいさつ


本山兄 大分3男派より
【アボニムの我々と人類へ向けての警告書】
「八大教材教本 "平和の主人、血統の主人" (2009.7.7) P.38〜40」から抜粋しました。


シカゴに暮らしていた人たちが、勢力を伸ばし、食べ物と貴重なものを交換しながら密輸するのです。ロシアに売り飛ばしたり、中国に売り飛ばしたりしていましたが、ロシアや中国に逆に教えてあげたので、そのロシアと中国ゆえに、アメリカは、世界国家の立場で補給してあげるべき米や肉をどこから手に入れますか。ブラジルやアルゼンチンのような所では肉をどのようにしますか。南米では買って食べません。狂牛病があるでしょう。この頃は豚インフルエンザ(新型インフルエンザ)もあるのですが、豚インフルエンザはお金では解決できません。豚のウィルスはウィルスを新たに作ります。自分より強いウィルスが生まれ、空気を通じて伝染するので、あっという間に人類が滅亡しうるのです。地球星の空気がウィルスに感染したら、直ぐに死んでしまいます。


そのような恐ろしい世界、自滅し得る環境が目前に来ているのに、自分たち夫婦は千年万年偕老だというのですか。堕落した罪悪の人々が淫乱の獣となり、自分たち二人は愛し合っているからと言って、ホモたちが主人となる言うのですか。そのような事はあり得ません。


彼らは文総裁のことを最も嫌うでしょう。「私達の怨讐、レバレンド・ムーン!」と言うのです。


ホモの家庭を破綻させる頭が現れて、自分たちの家庭を破綻させるから、レバレンド・ムーンの命までも残しておく事はできないと言うのです。


(私の所感というか偏見かも知れないが、、実際に、起きているではありませんか。分かりますか?)


サタンの血筋が支配し、完全に覆い尽くして、「お前は死んだ! だから我々が思い通りにしても、レバレンド・ムーンは、政治世界の利用物にしかならないので、お終いだ!」と言うのです。


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​患難の時を用意された意味


「侍りたいお父様」  一九六一年二月十二日 
『文鮮明先生み言選集第十一巻』



神様は終わりの日になれば、人類の前に7年の大患難があるだろうと予告されました。
この患難時期は6000年の歴史路程において、天の悲しい曲折が聖徒にぶつかる時です。人間の絆がみな壊れていき、信じられない環境にぶつかる時です。
自分がどんなに良心的に正しく生きたとしても、その良心で自らの生涯を主張できない時です。
み旨を抱き、考えのある者であればあるほど、眺(なが)めるあちこちに苦痛を感じる時です。そのような時が、終わりの日の7年大患難の時です。

 その時は、希望が揺れる時であり、私たちが信じている信仰の中心が揺れる時であり、信じて従った指導者が揺れる時です。
主義はもちろん、宗教、良心、父母の心情までもすべて揺れる時です。


 では、神様はなぜそのような世の中をつくっておかなければならないのでしょうか。それは真の神様、歴史的に苦労した神様と同参したという価値を与えるためです。
神様は6000年間数多くの惨状(さんじょう)を見てきましたし、数多くの曲折を受けられたので、終わりの日においては、主義とか、信仰ということをもって中心を立てることのできない環境にぶつかるようにするのです。
そのような患難の中でも「神様を愛する」と言う、そのような難しい場でも「神様と共に生きる」と言い得る真の息子、娘を探すために、そのような時が来るというのです。

 
それゆえ皆さんは、教会が揺れるのを見て悲しむことなく、ある主義が動揺するのを見て悲しむことなく、ある主権者が倒れるのを見て悲しむことなく、自らの父母が変わったと悲しむことなく、自らの兄弟が変わり果てたと悲しまないでください。
頼り、信じていた世の中のすべてが動揺しても、皆さんの心は平然としていなければなりません。
神様は動揺せず、この時間も私を訪ねてこられるということを知らなければなりません。神様が私たちに苦痛を与えるのは、神様との貴い一日、神様が経てきた苦痛の因縁を私たちに結んでくださるための、大きな約束であることを知らなければなりません。
そのような場で天を抱き締め、「一緒に行きましょう。
共に闘いましょう。
共に行動しましょう」と叫んで立つ人を探すために、そのような世の中が必要だというのです。

 
ですから皆さん、進む道がふさがったと落胆しないでください。
この国が乱れると気落ちしないでください。神様は死んではいません。
この世界がどんなに乱れても、気落ちしないでください。
神様は死んではいません。
神様は必ず訪ねてこられます。
すべてが動揺しても、天に対する一片丹心だけは動揺させないでください。
天を頼って仰ぐ希望の心だけは変わらないでください。
その心を変えようとするために、神様が皆さんをいかなる苦痛の場に追い込んだとしても、その場で父を呼ぶことができる心をもたなければなりません。
いかなる場に落ちても、その場で天の心情のひもをつかんで上がろうと努力しなければなりません。
地獄に落ちる苦痛を感じる恨があったとしても、父と共に参与する立場に立って父の苦痛を私が思いやって、その父は私の苦痛を察してくれることを信じて、そのような場でも行くという責任と義務を感じていくならば、皆さんは滅びないでしょう。



 今日、数多くのキリスト教徒がいますが、そういう信者が果たして何名になるでしょうか。私たちは父に侍るのに、天上の宝座に座っていらっしゃる父に侍るのではなく、死亡の波打つ中で真の息子、娘を探すために御苦労される父に侍らなければなりません。
その父を私の父と知り、その父の事情を私の事情として、その父の心情を私の心情として、その父の願いを私の願いとして訪ねてこられる父の前に雄々しく立って、「あなたの息子を探すことがあなたの願いであることを知って、その息子を探し、あなたの歴史的な曲折を解くことが、あなたの事情であることを知って、失った息子を抱き締めて愛したいのがあなたの心情であることを知りました。
どのような塗炭の苦しみと患難と難しさの中にあったとしても、私があなたの願いの実体であり、事情の実体であり、心情の実体です」と自信をもって立たなければなりません。このような者であってこそ父の息子であり、またその父に侍ることができる者になるということを皆さんは知らなければなりません。
この御言葉から 7年の艱難の始まりは 韓鶴子であることが理解できます。