morison30000のブログ

新しい時代が到来しました。
2012年から 世界は大きく変わり始めました。
大いなる主体が地上を去り
永遠の対象であったものが 邪な誘惑に負け 偽の主体に立つことにより 韓国はもうすぐ消滅します。
カゴメ カゴメ 後ろの正面はだれなのでしょう!!!!
 

家庭連合批判告発サイトの一里さんいいね!!


ディベートを考えると良い勉強になる。
彼は死が近い アボジを探している。
かわいそうである。
すでに帰るところは無くなっている
2020-05-15 06:48:53
テーマ:ブログ


最近、古いタブレット(シムなし)を操作していたらある写真入りの記事のキャッシュが残っていた。その写真は、彼の連合の幹部たちが40日の幹部研修に参加した時点での集合写真らしいとわかった。10人くらいの好々爺然とした人たちが親指を立てたりしてにこやかに笑っている姿が収まっていた。一人を除いてみんな名前は知っている人たちだ。その研修は独生女というある人の見解を理論的に正当化する為の補強研修のようなものだったらしい。そこで思ったのは、ほうー、このひともこの方も宗旨替えをしたのかということ。独生女という見解は、統一原理からは出てくるはずの無い見解だ。もちろん用語としても原理講論の中には存在しない。それは原理の説くメシアを真っ向から否定するものだから、反原理という位置づけになるからだ。その反原理となる独生女という見解を研修に参加してまで理論武装しようとするということは、参加者の面々は宗旨をお換えになったということに他ならない。



集合写真の中程に写っている人は、原理見解に関して尊敬していた人だった。時折講話や機関紙誌で見聞きしたその方の原理見解にはいつもなるほどとうならされたものだ。教会員こぞって人格完成して理想世界の実現を名実ともに信仰生活の中で目指していた頃の話だ。



統一教会が分裂して久しいが、本体として残っていた所の幹部の人たちが宗旨替えをしたということは、統一教会は看板を塗り替えただけで無く、中身も根底から異なる宗教に変貌したということだから、西川先生が創設した日本統一教会は名実ともに地上から姿を消したということになる。それは人格完成して理想世界を造るのだと意気込んで信仰生活を送りながらも、やむを得ない事情で教会を去った人たちにとっては、帰るべきよすがを失ったということだ。むろんこの期に及んで統一原理を批判することも意味はない。批判に意義がある場面があるとすれば、統一教会とは何であったかを総括するに際して、その流れの中で原理批判をするくらいだろう。



それにしても長い期間、あまりにも長い期間、統一教会と関わって生きてきてしまった。半世紀はとうに過ぎた。人生が終わろうとしている今日、未だに関わっているとは、自分ながらに自分を笑っちゃう。関わったことが人生において吉だったのか凶だったのか、それは死ぬときになって初めて決定する。禍福はあざなえる縄のごとしという、できれば吉だったと思えるように。終わりたいものだ
多くの教会員が何故にいとも簡単に宗旨替えができるのか
2020-05-16 00:00:01
テーマ:ブログ


前の記事で独生女の見解を認めることは、統一原理を信奉する立場からの宗旨替えであると述べた。宗旨替えは普通簡単にはできない。しかし、統一教会の信者だった多くの人たちは、さしたる抵抗もなく宗旨替えをしているように見える。それは何故か。理由は統一教会の信者の信仰の対象が何であったかにある。



統一教会の信者はメシアの言葉を信仰の対象としていた。信仰の対象はメシア自身では無くその語られるみ言が信仰の対象だったのである。


原理講論にはこう書いてある。


『この真理は、あくまでも神の啓示をもって、我々の前に現れなければならないのである。しかるに神は、既にこの地上に、このような人生と宇宙の根本問題を解決されるために、一人のお方を遣わし給うたのである。そのお方こそ、すなわち、文鮮明先生である。・・・・・・・・・・・・・・・・・ここに発表するみ言はその真理の一部分であり、今までその弟子たちが、あるいは聞き、あるいは見た範囲のものを収録したにすぎない。時が至るに従って、一層深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを切に待ち望むものである。』



ここに書かれているのは、原理講論が表すのは真理の全容では無く、その一部分に過ぎない。真理の全容は文鮮明先生が継続して発表されるのを待たねばならないと書いてあるのである。これを聞いた信者は絶えず文鮮明先生すなわちメシアの語られる言葉を常に注意して聞かねばならない羽目になるのである。



そして、復帰原理にはこう書いてある。


『第二に、創造原理によれば、神の責任分担として創造された人間は、それ自身の責任分担として神から与えられたみ言を信じ実践するとき、初めて完成されるように創造されたのである。それゆえに、復活摂理をなさるに当たっても、神の責任分担としての摂理のためのみ言がなければならないし、また、堕落人間がそれ自身の責任分担として、み言を信じ、実践して初めてそのみ旨が成し遂げられるようになっている』


(一)復活摂理はいかになされるか



復活にはみ言が必要だと書いてある。メシア再臨以降におけるみ言とはメシアが語る言葉に他ならない。ここでも信者はメシアのみ言に耳を傾ける必要が生まれる。



『この堕落性を脱ぐためには、天使長の立場にいるカインが、自分よりも神の前に近く立っているアベルの相対となる立場をとり、アベルから善のみ言を伝え受けて、善を繁殖する立場に立つべきであったのである。』  (二)実体基台



このほか堕落性を脱ぐための蕩減条件はアベルに従順に屈服することが求められた。
アベルはアボジであって目の前の天使長ではない!!!
残念だと思う だけど 日本食口ここまちがい!!
『天使長の立場にいるカインがアダムの立場にいるアベルを愛して、神の立場にあるのと同じ立場をとるべきであったのである。』


『天使長の立場にいるカインがアダムの立場にいるアベルを仲保として、彼を通じて神の愛を受ける立場をとることにより、自分の位置を守るべきであったのである。』


『天使長の立場にいるカインがアダムの立場にいるアベルに従順に屈伏して、彼の主管を受ける立場に立つことによって、主管性を正しく立てるべきであったのである。』



アベルとは目の前の組織上の上司とかがそれに該当した。信者は信仰生活の全ての時間においてアベルに対して、アベルを愛し、アベルを仲保とし、アベルに従順に屈伏して、アベルから下される言葉をみ言として受け入れることを訓練させられたのである。


信者は、原理講論を開いてそこに書かれている言葉を生活の糧として生きるという姿勢は取ることは決して無かったし、その必要性も求められることは無かったのである。


従って、原理講論とアベルの言葉が矛盾していようと、それは信仰生活に何らの支障をもたらすものではなかった。顕著な例は霊感商法である。霊人の復活は再臨協助によると復活論には書いてある。しかし、霊感商法では献金の多寡が救いの軽重につながり、原理講論とは明らかに矛盾していた。それでも信者は違和感を主張することなく、アベルに唯々諾々と従っていたのである。



つまり、信者は教義に従って行動するのではなく、アベルの言葉に従って行動するということが、献身者は24時間拘束されて訓練を受けていたのである。つまり親亀こけたら子亀がこけるの例えの如く、教会の上層部のアベルが独生女を受け入れれば、カインたる信者は抵抗なく独生女の見解を受け入れる素地が。できていたのである。つまり統一教会の信者には、自分の意思、自分の考えは持つことは許されないという訓練を受けていたのである。信仰の主体性は無かったのである。、曰く、自分と名のつくものは全てサタンであると。
荒川さんみたいにアセデールを売るべきだった 滋賀のお兄さんみたいに 印鑑は売ってもいいが 霊界を使い 100万円のつぼや 3000万円の多宝塔ゆえに狂った方たちは
苦しみ家庭単位で蕩減復帰している 悲惨としか思えない!!!


在日 クリスチャン 立証公正会摂理が崩壊し 同和 共産主義者 霊能者摂理にいこうしたことをりかいしていないようだ!!! 
メシアはこの堕落性を脱ぐための蕩減条件を信者に徹底させることで、自分の言葉に従わせるというミッションに成功した。その成果が自分のいいなりに結婚させる祝福という合同結婚式の積み重ねである。



しかし、メシアはこの方法で失敗した。もし、メシアが原理を教義として確立させていて、教義に従って信仰生活を営むように信者を訓練していたら、メシアを絶対視する信仰姿勢ができていて、メシアを否定するような独生女の見解など信者は受け入れなかっただろう。原理講論は教義として統一教会は提示していない。原理講論は教理解説書という訳のわからない表現で教義そのものではないと教会は言ってきた。信者は原理講論をあまり読むこと無くただアベルの言葉を受け入れることが信仰生活と心得てきたのである。
アボジは 原理講師ではなく 御言葉を語り条件を立て もくもくとカインを愛し
 自分や家族 を犠牲にして 戦ってこられた
国進様も 亨進様も自分のために涙は流さない


メシアは本来この方法、すなわちアベルカインの法則を信者に徹底することで思いは遂げられるはずだった。何故失敗したか。それはメシアは妻も子供も愛さなかったからである。その報いが妻と子供からの逆襲を受ける羽目になり、妻からはメシアはメシアでは無いという独生女の理論を突きつけられ子供たちからは分派という手痛いしっぺ返しを受けることになったのである。



しかし、これはこれで良かった。メシアがもし妻も子供も普通に愛していたら統一教会は分裂することもなく今や世界に影響力を持つ一大勢力となっていただろう。それは共産圏に代わる一大独裁国家の樹立を意味する。共産圏よりやっかいなのは、それが宗教だということにある。宗教はなかなか崩せない。内部からの崩壊も難しい。だから、メシアが家族を愛さなかったことは歴史上とても幸いしたと言えるだろう。
もしメシアが不通に妻や子供を愛していたなら 
 亨進様も国進様も目覚めず アボジも再臨主としての使命も果たせず
既存のアホ集団になっていただろう!!!!
 そんな集団なら 私は行きたくない!!!!
再臨主は イエス様のいかれなかった 家庭単位で十字架にかかる路程をいかれることで
世界人類が 神に戻る道を作られた そのために興進様も孝進様も栄進様も命を燃やし決意して霊界へ行かれた!!!!
 お父様が家庭だけを愛する方であれば 韓国の大統領で終わりだ!!!
永遠に続くことはない!!!! 
私が滋賀の方たちに悪いなと感じるのは私が来たことで 私につまずいた方たちが
 サンクチュアリーにこれなかったのかな???と思うことだ
人に つまずく薄っぺらい方たち 私につまずかないものは幸いである。
お父様から 1995年1月に 直接 分裂するよ!!!とは聞いたし
 み旨と世界にも書いてある。
それでどうし て家庭連合側にいるのかわからない!!!!
サタン化した元妻韓鶴子 それに従っている時点で 終わってるな!!!と感じる。
 お兄さん 奥さんがバカだったんだね!!!!!!
今から被害者として霊界に行くのかい!!!???????

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