morison30000のブログ

新しい時代が到来しました。
2012年から 世界は大きく変わり始めました。
大いなる主体が地上を去り
永遠の対象であったものが 邪な誘惑に負け 偽の主体に立つことにより 韓国はもうすぐ消滅します。
カゴメ カゴメ 後ろの正面はだれなのでしょう!!!!
 

ユランダ? なにやってるの??元英国ニューホープチーム必見



久しぶりにユランダを見つけた ユランダは元 映画女優さんで ユダヤ人
 さすがユダヤ人だという 万物復帰をしていた



毎回ではないが ニューヨークのエンパイアーステートの前に立ち 紙切れ1枚で
2時間立つだけで 500ドルを復帰してきたと聞いたことがある。
私が 徹夜で駆けずり回ってバラを売り 頑張って$400 原価を引いて $250
ユランダはユダヤ人 選民だからそれだけのパワーがあったからなのか?そう感じた
彼女の先祖たちにとって アボジに連結できる最後の賭けのようなものであったのだろう。
彼女は優秀であったため 堀ひろし(現ニュージャージ)やマンナ(フィンランド)アネッテシュミット トニーブレアー ピータールイス ゆり子さん 清美神奈川在住とともに ニューヨークへ ロンドンから渡って行った。
 伝道本部は エンパイヤーステートビル 資金は藤田龍一先生が英国の阿部総裁をだまして ヨーロッパでビトーや弘樹(ブラック)さんやカマロ ビザ問題のあったメンバーを集めて
ヨーロッパ全土で万物復帰をさせて そっくりそのまま アメリカへ送っていた!
英国側では とーま国広さんや ミッティトーマが わけわからずに送金していた。



アンコと総裁と 4月5日になくなった 奥さんの千鶴子夫人とサンクにいるエビリンと馬鹿そうな私 
私が2016年1月にペンシルバニアに行っていたときお聞きした内容で
 サンクに来た横浜の教区長婦人に対して 彼女はペンシルバニアに来ておられ 何時間も梶栗夫人とともに阿部夫人が連携して 夜中じゅう 国際電話をかけて サンクから韓鶴子のもとに引きずり戻そうと頑張っていたと2016年にお聞きしたことがある。
 いくら後継者が亨進様だとはいえ 先輩家庭は 原理より 神様より人情的に判断してしまう。お父様が 彼を決断したんだから 阿部婦人???人間的でないですか???
と感じてしまった。


 ある意味藤井会長が追い出された時点で 阿部夫婦もサタン側に尻尾をつかまれたと感じる
 言い方を変えれば 1994年に 桜井 梶栗 石井と 12双 777双 1800双は
反 藤井側に立ち お父様を裏切ったことになると感じる そう感じた場合
サンクに 6000双や 2075双 の方達が中心に立っている意味が理解できる
なんで???6000双 なんで 2075双 失敗してないからだ!!!
世界日報の失敗の蕩減復帰で 右腕の江藤社長と 左腕のカミムラ東さんがワコムを作り
 総裁家庭は 英国へ おもにビザ問題とチャリティー問題の清算 裁判 蕩減復帰のために10年以上にわたって 戦い マークブラウン等とともに裁判を勝利 その後日本にその勝利権を相続させるために帰国されたわけです。
 その中心的摂理が 藤井会長のバックアップ お父様がご入国できるかどうか
できなければ 統一教会をつぶせだったわけです。
その後 ヨーロッパは サグアンギを追い出したあと 宋龍天 が引き継ぎシェンゲンの勝利を勝ち取ったわけです。
お父様を 全ヨーロッパに御入国させれる権利 裁判の勝利
その基礎を築いたのは 阿部総裁と千鶴子夫人だったわけです。  
この下の内容から ソン先生自身が保身と 韓国特有のよいしょから 韓鶴子賛美に変わっていることが理解できます。
 本来ノア家庭の勝利は 顕進様 国進様 亨進様の流れで 戦って勝利しなければならなかったわけですが
 郭先生の 大統領選不出馬 2007年 ヘリコプター事故2008年 で 顕進様崩壊
真の子女間での 政治に対して責任を持つべきだった 顕進様が 精神的崩壊



地中海での出来事 
2011年にも父母様は訪ねて来られたのですが、その前に訪れた2009年というのは本当に特別な一年でした。
その年は7月の末頃だったでしょうか。モナコで7日間、真のご父母様をお迎えした時があるのです。シェンゲンの勝利の後、初めてヨーロッパを訪ねて来られたことがあるのです。


そのとき、お母様が私に電話を下さって、


「お父様が今回ヨーロッパを訪ねるのだけれど、地中海を見渡せるような所に行きたい。地中海全体を見渡せるような場所で部屋を取ってほしい、という指示がお父様から出たよ。』


と仰いました。


私は霊的には何か意味があるのかなと思いましたが、具体的には何のことか分かりませんでした。


後でわかったことですが、イエス様が亡くなった後に、多くの宣教師たちや使徒たちがこの地中海を通じて西ヨーロッパに宣教に出て行ったのです。使徒パウロもそうでした。地中海を通じて、あちらこちらに宣教に出て行ったのです。
そして、ノアの箱舟の役事が起きたのもこの地中海です。


ですから「お父様の願いもこの地中海を見つめる所で起きるのだ!」ということで、私たちはそのホテルの部屋を取ったのです。そこで毎日のように、お父様が訓読の精誠を込められながら、地中海を見ておられたのです。
そして2009年7月19日を迎えました。その日はお父様のヘリコプターの事故から丁度1年が経った1周年の日でした。この日私たちは、何か行事を持つことをしましょうかとお母様に申し上げたのですけれども、お母様は、


『静かに過ごしなさい。お父様は精誠を込めておられるから。』


と仰いましたので、そのまま過ごすつもりでした。
しかしその日の朝、お父様が、


『私の部屋に早く入って来い。』


と言われるのです。私は慌てて入って行きました。


『カメラは持ってきたか?』


と仰るので、「いいえ。すぐに取ってきます。」と言って、カメラを準備して戻ってきたのです。すると、


『早く撮れ。私はこの瞬間の為に、ここに来ていたんだよ。このヨーロッパを訪ねてきた理由は、ピースカップの開催の為に訪ねて来たのではなくて、ただこの瞬間、この部屋で写真を撮る為に来たんだ。これを収める為に来たんだ。』


2009年7月19日、ヘリコプター事故から丁度1周年を迎えたその日、その日の為にここを訪ねてきたんだよと言われて、撮られた写真がこれです。(写真を見せられる。)


『これは大変意義深い写真だから、あなたたちも一緒に撮りなさい。』


と言われて、金孝律補佐官と私もこのように写真に収めていただいて、4人で写真を撮りました。その時私は、なぜお父様は「この時の為に来た」と語られたのかと、深く悟ることができませんでした。
ノア家庭の蕩減復帰


その年の6月1日は、韓国において数千名が集まりお父様の自叙伝の出版発刊式が開催されましたが、その時お父様が何と語られたのかというと、


「6月1日は、ノアの洪水審判の日なんだよ。』


と語られたのです。


そして、お父様はその後7月にヨーロッパに来られた訳です。
シェンゲンを勝利することで、ヨーロッパがサタンから解放されて神様中心のヨーロッパになり、初めてのヨーロッパの訪問になります。それ以前は、お父様がヨーロッパ入って来れないように、サタンが完全に障壁を築いていました。しかし、その障壁を崩したので、西側ヨーロッパを何処でも自由に往来できるという状況下で、この日お父様は、


『この日、この一瞬の為にここに来たんだよ。』


と仰ったのです。


お父様は毎日、この部屋から地中海を見渡しながら過ごされました。毎日、この港に色んな船が入って来たそうです。毎日毎日行ったり来たり、色んな船が出入りしていました。
しかし、(写真を示される)この船が入ってきたこの一瞬、お父様は、


『これは、ノアの時代の箱舟だ!』


というのですよ。新しい新天新地で、地中海のこの海にノアの箱舟が入って来たというのです。その一瞬の為に、お父様は精誠を込めておられたのです。
お父様はこの一瞬を見られてから、その後に全員に座りなさいと仰いました。そこには丁度8名が居たのですが、その部屋でお父様はみ言を語り始められたのです。

3時間位、創造本然の世界について語られました。このように(写真を指しながら)座ってお話しされるのですよ。
そうなさりながら、


『今まで私は原理的な生きざまを一瞬も外れたことがないんだよ。
先生は原理的に生きた人なんだよ。
創造本然の原理、これに外れた生活は一回もしていないんだ。
私の全ての物は天の願いとみ意に叶った原理的な生き方だったんだよ。』


と仰られながら、足元の靴下を突然、片足から脱ぎ始めるんですよ。
しかしその時お父様が言われるには、


『原理的な靴下の脱ぎ方を見せてやろう。これが原理的な靴下の脱ぎ方だ。
ズボンも原理的に脱いであげよう。』


お父様は大変自然な姿で・・・。
そして靴下を脱いでから、ズボン、パンツと全部脱がれたのです。
そしてその後、改めてパンツをはいて、ズボンをはいて、靴下をはかれたのです。

お母様はそういう状況であっても全く何も仰らずに、静かに見守られていました。
8名だけがそこにいて・・・。大変不思議な場面ですよ。


そしてその集会が終わった後に、私と金孝律補佐官が話をしました。お互いに話をしながら、「こんなこと、お父様はされたことがなかったよ。
一体どんな深い意味があるのだろう。
突然そんなことをなさることは、今までにはなかった・・・。」


次の日の訓読会の時、お父様が出て来られてこのようにおっしゃられました。


『昨日の夜、オモニが私にこんなことを言ったよ。こんな質問をしてきたんだよ。』


どんな質問をされたのかというと、


『アボジ、何で指導者たち食口の前で、あのように脱ぐようなことをしたの?』


お母様はそのように質問されました。するとお父様は、


『私は、こう答えたんだよ。』


と、訓読会で皆に教えるのです。


『父母と子女の間、父子関係においては境界線はないんだよ。恥ずかしいことはないんだよ。何の境界線もない、一体になっているんだよ。親と子は。私はお母様にそう言ったんだよ。』
>私の感じる世界は 韓鶴子は聞かなければ理解できないそのレベル 子女のレベルであることをロンテン先生は説明してくださっているわけです。
 韓鶴子は 国進様にも 2代王にも 郭ジョンファンにも 金ヒョウナムにもピーター金にも どうして どうして?なんで? なんで?といつもいつも質問されておられ
質問しなければ何も理解できなかったわけです。
 言い方を変えれば 成長していないわけです。
いわゆる悟れないのです。
韓鶴子は お父様が裸になった行為を受け入れられなかったし 恥ずかしく思った
 ハムが後ずさりした (ノアの妻との近親相姦)を超えれなかったということです。
ですので完成期の祝福は勝利できなかったわけです。
と、その8人に語られたのです。


私は、お父様のそのみ言に触れた瞬間悟りました。
即ち、「この朝の船はノアの箱舟を意味している。そして午後に見たそのお父様の行為、お父様が語られながら私たちと共に見せて下さったその行為は、ノアの箱舟の洪水審判を越えた後に、新天新地で起きたノアの家庭における内容の蕩減復帰だったのだ。」ということがわかったわけです。分かりますよね?
裸で寝ていたノアに対して、ハムがその下部を覆ったことが罪になったという話がありますね。これを全て蕩減した訳ですよ。周りの人が何一言文句を言うことなく受け入れたのです。


縦的な内容を・・・人類歴史6000年に亘るその内容を、お父様は一人で全てを蕩減しながら歩んで来られた。誰も想像つかないようなお父様の生涯だったのです。
(今回のように)私たちが理解して見つめることができないような、そういう瞬間もあったというのです。しかしその中で、お父様とお母様は完全に一体となられて、私たちを直接的な直系の子女として見つめて対して下さったというのです。そこで一体を成したかった。そういう姿を私たちは目撃してきました。


先日5月5日の連合礼拝で、『皆様が誇らしい』と語られたお母様ですが、私たち統一教会員としての皆様が誇り高いということのみならず、


『皆様は私の子女であり、祝福を通じて、私たち(真の父母様)の直系子女となった皆様なんだ。それが誇らしいんだ。』


という意味を込めて仰られたお母様なのだということを知らなければなりません。
お父様はいつも集会を終えられた後に、何と言われるか。最後に和動した後に終えていく時、何とおっしゃるのでしょう。


『一緒に生きていこう。永遠なる世界でも一緒に生きていこう。エデンの園で私と一緒に生きようよ。』


そのように語られるお父様だったのです。


 龍天先生も終わったわけです。


話を戻しますが ユランダたちの属していたニューヨークの基盤は どんどん霊的問題へと揺れ動き最終的に 崩壊
ユランダの教会に対するインタビューを聞いていて感じたのは 3年いても4年いても何も変わらなかった という事であり 内容が貧弱で自己中であるのと 蕩減復帰が理解できないから すべて他人のせい 教会のせい アボジのせいにして 責任転嫁しているという事でした。
ゆかを這いずり回る ゴキブリやフナ虫のような人生 それでも良いということが理解できれば まだ 未来はあるなと感じました。
1994年 ニューヨーカーホテルの地下のランドリーで 乾燥機を回す ユランダに会った
 ユランダは 嬉しそうにわたしを懐かしんでくれた 苦労してるなとあの時感じた。
 そのユランダが2005年に離れているとは知らなかった 恵み信仰 奇跡信仰 ご利益信仰では人は枯渇する。 と感じた 献身してからの3年半 基礎的原理が体にしみこんでいなければならないと感じる。
少しは 地道なヨーロッパの摂理が理解出来ましたか??



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阿部婦人 ありがとう!!ご苦労様でした。 ようこちゃん頑張れ!!!